通商:ふるふる
名前:古谷 憲仁 (ふるや のりひと)
年齢: 53歳
生誕地:北海道熊石町 (現:八雲町熊石町)
現住所:北海道札幌市
職業:自営業・機械設計事務所(有)エフプランニング経営。
       (実質は単なる個人設計事務所)
ダートラ暦:数える程度は出場経験あり。殆ど初心者。
ラリー暦:20年(15年?) 
      33歳から始める。右翼曲折・・・。
      2002年で引退。
              2005年6月4度目の復活:大笑
      オーガナイズはビギナーズからAPRCまで経験。
      2003年は中止。2004年以降ははWRC。
      2005年8月ラリー北海道 、10月はWRC
      ・・・・・2008年WRC とWRCは毎回
レース暦:全く無し。コースマーシャル(ポスト)は2度経験。
ライセンス Dv.国内A級
       Of.計時B1級
その他:既婚。3人の子持ち。

過去の戦闘機:DAIHATU シャレード (1000FF)
          SUZUKI カルタスGTi 4WD
          NISSAN マーチR(試合未出走)
          SUBARU VIVIO RXRA(スペックA)
          SUBARU VIVIO RXRA(スペックBからC)
          SUBARU VIVIO RXR (初期型)
                      DAIHATU ストーリアX4 平成12年車
          TOYOTA VITZ 1000 FF 平成12年車
          SUBARU VIVIO RXRA(スペックB)
          MITUBISHI ランサーEVO6(現在)
 
カルタスGTi 4WD 
マーチRに対抗しようと計画。 
しかし、ミッションが林道に 
全く合わず、特に登りでは 
トルクも細く最悪だった。 
トライアルにも何度か出場 
したが、メロメロ。 
3年目にJr.Bクラスチャンプを 
GETし、チャンピオン戦にも 
兆戦するも歯が立たず。
VIVIO RXRA(スペックA) 
(写真は2代目) 
当時の最速マシーン。 
初戦チャンプAクラス3位GET。 
3戦走って譲る。 
そして空白の4年が始まる。 
<第1回引退>
VIVIO RXRA(スペックB) 
譲り受けた元ライバルの車。 
センターデフがノーマルでOUT。 
しかし、小笠原選手のスペック 
Cエンジンを譲り受け、センター 
を強化して産まれ変る! 
油が乗って来たとたん60M転落。 
廃車の運命を辿る。 
<第2回引退>
VIVIO RXR(初期型) 
譲り受けたがブッシュも入って 
いないド・ノーマル車。 
2代目からエンジン以外を移植。 
中間パワーが無く最悪。 
冬チャンプA4WDにて2位GET。 
ローパワー車を無駄無く走らせ 
る手本になった。 
後世は軽カー耐久で走ってた 
みたいっす。 
<第3回引退>
VIVIOの戦闘力不足に諦めをつけ 
新車購入。 
しかし、基本的に使えない状態に 
散々な苦労を強いられる。 
ようやく思いっきり戦闘できる状態 
になった途端、商売不振にて売却。 
主だった戦績は地方戦優勝1回 
<第4回引退>
VIVIOを購入して林道で遊ぶはずが 
成り行きからVITZを走らせる事に。 
京都のCOMPEの社長さんの計らいで 
ベース車を譲って頂き製作。 
戦闘力不足は仕方ないので 
入門車としてVitzRallyを提案する。 
2005年は車作りに専念。 
1年走ったが対戦者なし。倉の中へ。
鉄くず雑品価格で売却
クラブで使われていないVIVIOがある 
と言うので「頂戴!」と言ったら本当に 
ワシの所に来てしまった4代目。 
Vitzで取れなかったポイント奪取の 
為に暫定で走らせたが扱い易い。 
2007年初戦で運も重なりAB混走の 
Bクラス優勝。一躍チャンプカーと 
なってしまった。2戦目の快挙! 
「VIVIOは最良のラリー車」伝説は不滅 
ターマックで激突:廃車となる。