RallyJapan official 日記 2006
  
 
 8月23日(水
   トラッキングだと。なんだこりゃあ。いらねえ!
役務は確かに色々あるがな。今年でやはりワシは終わる。
今年はやるって言ってしまったかんな。
備品もクソもねえ。車1台。最後のご奉公である。
 
 

2006WRC その7  投稿者:ふるふる  投稿日: 9月 5日(火)11時46分39秒
   トムラウシ登山学校の駐車場で山長車が下りて来るの起きた思い出の地でもあり、毎度毎度キャデラックの森下と高橋君と談笑する
場所でもある。岡田君は今晩のホテルをまだ知らないんでHQに行きたいらしい。
高橋君はフェリーで秋田まで帰るんで、ここでお別れとなる。
岡田君は倉庫まで行くと言うので、解散後一緒に森下車の後を追いかけた。
自慢じゃないが、ワシ未だに倉庫の場所が分からない:笑。
何となくしか覚えてないから、1台だと確実に迷子になるんである:自信有り。
倉庫で備品を降ろして、R項を受け取った。岡田君は仲間を見つけてHQに
向かい、森下・青木コンビも帰って行った。
気がつくと高桑君と二人っきり。「エゾが二人っきりで淋しいね」
「桜だあああ」さんや「福だあああ」さんの顔を見たいね・・。
と言う事で「福だあああ」さんに携帯・・。
「後、1時間くらいかな・・」
1時間かあ・・・。やる事もないんで高桑君の車に乗って話をする。
・・何回目だろ・・・事あるごとに最後に高桑君の横で時間をつぶしている。
そんで高桑君に道案内してもらっている。
「桜だあああ」さんと「福だあああ」さんに、伊藤夫妻の3台が戻ってきた。
降ろした備品を片付ける。無線等の最後のチェックになる。
二人の顔を見たんで高桑君に案内してもらって札幌を目指す。
途中コンビに寄ったが弁当が殆ど売り切れ状態。他を探して走り始めたら
吉野家が目に入った。弁当を食い飽きていたのでしょうが焼き定食にありつく。
そんじゃ・・と分かれたが・・・信号一つくらい離れていたはずの高桑車が
見えなくなっていた。
帯広市内をボケーっと走行。峠から眠気醒まし走行に移る。
日高の峠に入ってポンポン抜いて行ったが、変なパジェロ風RVがやけに速い。
登りで負けた!ウソだろ・・・。幾らVitz1000とは言え抜けないRV?
すぐ後ろにくっついたら見慣れたステッカー!高桑車だった・・。
まがりなりにも彼もラリードライバーである。ましてエボ使いでもある。
下りの割とタイトなコーナーで高桑車がインをあけてくれたんで、満開で
コーナークリア:笑。彼も眠気醒ましにバトルをしてたみたい:笑。
バトルと言ってもついて来た車は殆ど無いけど・・・当たり前か:爆笑。
夕張まで2台で遊んでいたが、翌日師匠から電話があった。
「Vitzで行ったの?3台でつるんで俺を抜いてったろ?」
・・あ・・・見られてた。多分緩いコーナーで抜いたハイエースだ:汗・・。
「あ、気がつかなかったっす。」
師匠だと知ってりゃブッチで抜ける訳も無い:反省。
家に着いたら1時ちょい前・・・疲れたあああ。
疲れたといえばトラッキング。
どの方法でも多分トラッキングは完了するのであるが、疲れ方がまるっきり違う。
これは、どんなやり方でもラリーはオーガナイズできるのと似ている。
手を抜けば、それなりに簡略化できるのである。最もスリムであるが、それに
慣れた場合、人に気使いが出来なくなる。だからワシなどは辛く思うんである。
山の中に入っているのは「人間」であり「使い捨て」ではないと思いたい。
WRCと言う世界の頂点をオーガナイズするのに「使い捨て」扱いは御免こうむり
たい。
一度経験するとHQの方では最早どの役務もこなせる人間だと解釈するらしい。
多分、そうであるなら殆どの会社に部署専属の人員は必要ない事になる。
営業が次の年には経理になり翌年は部品管理部。毎年オールマイティーが育って
いるなら「桜だあああ」さんや「福だあああ」さんの代わりも出来る人間が
数人いても不思議でない。有り得ないからインターから6年、彼等に重責を負って
貰っている。
人数は少ないが、EZO山の復活を望んでいる。来年に繋がる向上心を持った
オーガナイズを心より願うし、どうせ辛い思いをするなら自分達のやりかたで
眠れないオーガナイズを復
2006WRC その7  投稿者:ふるふる  投稿日: 9月 5日(火)11時46分39秒
   トムラウシ登山学校の駐車場で山長車が下りて来るの起きた思い出の地でもあり、毎度毎度キャデラックの森下と高橋君と談笑する
場所でもある。岡田君は今晩のホテルをまだ知らないんでHQに行きたいらしい。
高橋君はフェリーで秋田まで帰るんで、ここでお別れとなる。
岡田君は倉庫まで行くと言うので、解散後一緒に森下車の後を追いかけた。
自慢じゃないが、ワシ未だに倉庫の場所が分からない:笑。
何となくしか覚えてないから、1台だと確実に迷子になるんである:自信有り。
倉庫で備品を降ろして、R項を受け取った。岡田君は仲間を見つけてHQに
向かい、森下・青木コンビも帰って行った。
気がつくと高桑君と二人っきり。「エゾが二人っきりで淋しいね」
「桜だあああ」さんや「福だあああ」さんの顔を見たいね・・。
と言う事で「福だあああ」さんに携帯・・。
「後、1時間くらいかな・・」
1時間かあ・・・。やる事もないんで高桑君の車に乗って話をする。
・・何回目だろ・・・事あるごとに最後に高桑君の横で時間をつぶしている。
そんで高桑君に道案内してもらっている。
「桜だあああ」さんと「福だあああ」さんに、伊藤夫妻の3台が戻ってきた。
降ろした備品を片付ける。無線等の最後のチェックになる。
二人の顔を見たんで高桑君に案内してもらって札幌を目指す。
途中コンビに寄ったが弁当が殆ど売り切れ状態。他を探して走り始めたら
吉野家が目に入った。弁当を食い飽きていたのでしょうが焼き定食にありつく。
そんじゃ・・と分かれたが・・・信号一つくらい離れていたはずの高桑車が
見えなくなっていた。
帯広市内をボケーっと走行。峠から眠気醒まし走行に移る。
日高の峠に入ってポンポン抜いて行ったが、変なパジェロ風RVがやけに速い。
登りで負けた!ウソだろ・・・。幾らVitz1000とは言え抜けないRV?
すぐ後ろにくっついたら見慣れたステッカー!高桑車だった・・。
まがりなりにも彼もラリードライバーである。ましてエボ使いでもある。
下りの割とタイトなコーナーで高桑車がインをあけてくれたんで、満開で
コーナークリア:笑。彼も眠気醒ましにバトルをしてたみたい:笑。
バトルと言ってもついて来た車は殆ど無いけど・・・当たり前か:爆笑。
夕張まで2台で遊んでいたが、翌日師匠から電話があった。
「Vitzで行ったの?3台でつるんで俺を抜いてったろ?」
・・あ・・・見られてた。多分緩いコーナーで抜いたハイエースだ:汗・・。
「あ、気がつかなかったっす。」
師匠だと知ってりゃブッチで抜ける訳も無い:反省。
家に着いたら1時ちょい前・・・疲れたあああ。
疲れたといえばトラッキング。
どの方法でも多分トラッキングは完了するのであるが、疲れ方がまるっきり違う。
これは、どんなやり方でもラリーはオーガナイズできるのと似ている。
手を抜けば、それなりに簡略化できるのである。最もスリムであるが、それに
慣れた場合、人に気使いが出来なくなる。だからワシなどは辛く思うんである。
山の中に入っているのは「人間」であり「使い捨て」ではないと思いたい。
WRCと言う世界の頂点をオーガナイズするのに「使い捨て」扱いは御免こうむり
たい。
一度経験するとHQの方では最早どの役務もこなせる人間だと解釈するらしい。
多分、そうであるなら殆どの会社に部署専属の人員は必要ない事になる。
営業が次の年には経理になり翌年は部品管理部。毎年オールマイティーが育って
いるなら「桜だあああ」さんや「福だあああ」さんの代わりも出来る人間が
数人いても不思議でない。有り得ないからインターから6年、彼等に重責を負って
貰っている。
人数は少ないが、EZO山の復活を望んでいる。来年に繋がる向上心を持った
オーガナイズを心より願うし、どうせ辛い思いをするなら自分達のやりかたで
眠れないオーガナイズを復活させたい。
疑問を持っても何も対処できない(他の山の管轄)今の状況で今後も続くのかと
思うと、それだけでウンザリするのである。
毎年「桜だあああ」さんと「福だあああ」さんコンビには辛い思いをさせてる
訳だが、今の汗より昔の汗の方が濃かった気がする。
微力ではあるが、そんなら(静かに)出張る事も出来る(いやかな?)。
HQとの関りは絶対嫌なので、端っこが良いのだ。
何度も言うが、ワシはEZO山の為に復活したんである。今の状況は望まないし、
何故か、ワシが行かなきゃ行かないと言う人も居て、罪悪感を感じるので
「来年も来るよ」と答えておいた。
森下のオヤジの言葉「ここは俺の場所じゃねえ!」が耳に残って離れない。
使った意味は違えど「ここはワシの場所じゃねえ」と吠えてしまう。
今年の流れならクロージャーを希望しようと思っている。人数が余るんだったら
クビで構わないが、それだともう一人減るしなあ・・・。
多分来年の申し込みはハッキリ書く。エゾ山があるならFF希望、そうでないなら
クロージャー希望。多分、もう一人も同じになる。

________________________________________
2006WRC その6  投稿者:ふるふる  投稿日: 9月 5日(火)10時54分21秒

   朝3時半起床。毎日集合が朝4時と言う事で非常に分かり易い時間設定だった。
トムラウシ登山学校に向かい、到着したら点呼を取っていた。
「今日は別のところをやって貰う」と「桜だあああ」さんから言われる。
ついにトラッキングもクビになったか・・てな事でもないみたいで居ない人の
クロージャーに当てられてた。
当初岡田君を他に回すのでワシ一人でやってくれと言っていたが、結局二人で
入る事になった。トラッキングコンビがクロージャーコンビに変り、二人とも
クロージャー経験が無いので初体験である。
ワシはオーガナイズして来て車止めの経験は過去地方戦で1度っきり。
持ち場の林道脇道に車を止めて・・やる事が無い・・・。止まっているのが
唯一の仕事となる。
天気は快晴。永遠のモニュメントは語り告がれる事も無く・・\(^o^)/
無線機をトラッキングに合わせてラジオ4.5と勝手に名つけて
速いグループのトラッキングで時間をつぶす。
面白いことに0から9、12と走って行くと眠くなりウトウトして気がつくと
グロンホルムやローブの頃に目が覚める。
(SS26も全く同じ・・車の音が子守唄となってウトウトしてしまうのだ。
岡田君もSS26ではウトウトしながらトラッキング表を書いていた:笑。)
SS24も終わり高田さんがデリカで弁当を配りに来た・・デリカ?・・
「やあ、どうも」と運転席から森藤君がご挨拶。まあ似合うこと:笑。
森藤君はやけに生き生きしていた。元々の担当場所であるからなあ。
WRC TVが通り過ぎて行った。スティーブンコンビもいた。ここ結構
ロケーションが良いけどなあ・・と岡田君と話していると北海道のTVクルー
がやって来てワシ等の車の前に陣取った。お蔭で競技車が殆ど見えなくなる。
車は「わ」ナンバーのNEW VITZだが左フロントにテンパータイヤを履いて
いた。正面から見るとバンパーの下がえぐれて変なパーツの陰が見えてる。
多分移動中に側溝にでも落ちたんだろうなあ・・。
レンタカーって壊しても料金は同じなのか?モロ修理代払うの?とか
よけいな心配をしてしまった。安く見積もって・・・・どうでも良いか:笑。
SS26もスイーパーが過ぎて行った。移動指示を待っていたら「逆走で走れ」
の指示・・・汗ダクダク・・・逆走?何の為に?
FIVが順送で通り過ぎる!!しかし「逆走」指示が再度アナウンスされる。
「冗談じゃねえ。事故れってかよ!前か後ろが現れるまで移動しねえぞ。」
と岡田君と指示拒否を決め込む。上流のスタートで何すんねん?
その間も「山長指示を繰り返します」と言っては逆走を繰り返すのだった。
「山長って桜だあああさんだべや。そんな指示出すわけねえべや。オガしい。
 暫く様子見るべ」絶対拒否!
と、案の定聞き間違い。入る時に逆走で入ったから、その逆の順送で帰ると
言うのを逆走と伝えていたらしい。危ないしいいいい!!
「ゴール側に移動」と言うだけでエガッタんでないかい?入った時の向きなんざ
必要ないしいいい。
それにしても中継さんもペンケとパンケの合流地点に向かって走れって言う
指示を変だと思わなかったんかなあ?
ゴールに向かって途中のピレリテープを取りながら降りて行く。ついでに道に
落ちてるマッドフラップやタイヤハウスのカバー・・色々落ちてる。
暫く行くと自衛隊のトラックが止まっていてNo.10のフォード車を引き上げ
ている所だった。
中継を呼んだが通じないんで、一応後続にラジオ5の辺りでNo.10の引き上げ
の為に止まっている波を流す・・。
近くに行って作業を眺める。壊れた部品が道路に散らばっているので他の
クルーと一緒に拾い集める。割れたハニカム構造材を初めて見た。
そうこうしてる内に後続も来てにぎやかになった。
高橋君が「嫌なもの見たじゃ」と憤慨している。
岡田君も見たと言ってそっぽを向いた。
物見宇山のクルーが存在する事は聞いていたが、現実に見ると嫌なものである。
それが一緒にオーガナイズした仲間なのだから恥ずかしいと言うか・・。
牽引の用意が出来て、再びゴールに向かって移動を開始。
途中でNo.10から部品が落下したので、止まって拾う。左ミラーだった。
足元のミラーを見ながら岡田君が「欲しいなあ、これ」と洩らす。
「俺も欲しいよ・・・けどよ、コレを持ち帰ったら自分のWRCは終わるよ」
「そうだね」二人共同じ事を考えていた。
途中で止まったNo.10にミラーを返す。当たり前の事だが誘惑は大きい。
全部振り払うしかオーガナイズする道は無いと思っている。
ワシにとってWRCだけは別の存在。他の選手権では色々誘惑に負けることも
無きにしもあらずだが、この3日間はみそぎした神事なのだと思っている。
ま、他人にゃあ分からん部分でもある。

2006WRC その5  投稿者:ふるふる  投稿日: 9月 5日(火)01時26分39秒

   昨日とは違う隊列を作って山に入る。ミッドに出てから順に配置していく。
特命札幌交通局24時。エネルギー充填120%。ワープ!:笑
配置についてワシは草刈を始めた。広場を作り、防御板を立てシートで車を守る。
一緒にトラッキングする塩地さんと鈴木さんに呆れられながら巣作り完了。
SS13はワシ等が車番確認。SS17は塩地さん等が車番確認とした。
トラッキングが始まる。昨日はC山なのでラジオポイント1を「C1」と呼び
「C1、32」と言う形で報告「C1、32、了解」で次に移ると言う方式だった。
しかし、今日は「1,1」と報告「1、1、了解」で次に移る方式となった。
つまり方法は一定している訳では無い・・らしい。
また、早さに特化しているようで波も早い。殆どポイント番号は聞こえない。
「32了解」「45了解」「なし了解」・・・と進む。
それでも了解がつくのと、ポイント5の波が取れるので、その後に言えば良い
と言う事で進むが、車の音で消されたりして、塩地さん達も結構苦戦していた。
「SS4の中継さんがベストだね・・」と言う意見は一致した。
別に悪口とかではない。理想の中継方法はトラッキングとしてはSS4の方
の方式だと思う。ワシが真似るならこの方の方式を真似たい。
更に3日目には「了解」すら外れた・・。聞こえて来るのは「なし」「32」「45」
とかで、時々ポイントの電波も拾うので何番目のポイントの数字なのかすぐには
理解不能だった。残り30秒の間にコマを埋めて行くジグソーパズル。
それでも各ポイントはすかさずついて行っていた。3日目はワシ等はクロージャーに
入っていたのでトラッキングを聞いていたが、岡田君が暇にシートを書きながら
溜息を洩らしていた。
おっと話しが反れてしまった。
SS13、思った以上に石跳ねが無い。何度か握り拳の半分くらいの石を飛ばされ
車の屋根に直撃したりしたが、結構安全な車確認となった。
そして、FFの頃に確認できなかった車番が全車見えるのであった。
確認距離や視界の広さ、埃の無い事・・・様々な違いはあるが車の中からでも
殆ど読むことが出来た。
日差しはカンカン・・だが木陰に座ってると気持ちが良い。
ローブの速さが尋常で無いのがよーく分かった。スタートタイムとラジオ看板との
関係で違いを目で見る事が出来る。ペターが看板過ぎて直後だったのにローブは
余裕を持って過ぎて行った。目視でも明らかに車速が違っていた。
圧巻は111号車の黄色いイグニス(粟津原)の抜けるような音であった。
車速とギャップはあるが、一番凄かったで賞をあげるべきだ。一番遠くまで
この音は響き渡っていた。
今回、いやーな気持ちにさせたのが、アジパシの如き機関銃のようなミスファイヤ
のパンパン音だった。カラムジット・シンには及ばないまでも「そこまでやるか?」
の印象は否めない。N車はリストリクターの関係で走り方は奴田原流が正解なんで
なかったか?無闇な高回転ではなく、最もトルクの出るところを使う・・・。
異常な高回転仕様であるかに思われ「やっちゃえば」的に見えるのは間違い?
アジパシのグループAと同じに見えるのはどうしてなん?
アクセルハーフで鳴っている車もあった(全然踏んでないのに・・)。
車検を通っているから問題ないのか・・。
急に車が来なくなった。スタートのトラブルか?10台も空白になった頃中継から
人身事故で15分スタートが遅れるとの情報。
陸別でカメラマンが競技車に跳ねられたらしい・・新井選手?えっ?
後で地元の素人カメラマンがアウト側でシャッターを切っていて跳ねられたと知り
「ありえねえ」事情に安堵感を覚える。
しかし、あってはならない事故だったと思う。素人を放置してしまったのは何故?
地元の歓迎行事な分、手痛い事件だった気がする。
ま、事情を知らないワシは何も言えないけど・・・。
SS17は気楽にトラッキングできた。昨日のように暗くなる前に終わったので安心。
陸別で給油。足寄ネイパルに寄ってから新得方面に移動する。
トムラウシ登山学校の食堂で温かい夕食後、風呂に入り宿舎になった屈足総合会館
の体育館でザコ寝。うとうとしてふと気がつくと、体育館全体にイビキの合唱が
響き渡っていた。もの凄い不協和音である。
「こりゃあ眠れないな・・」と思ったところまで覚えている。爆睡。

________________________________________
2006WRC その4  投稿者:ふるふる  投稿日: 9月 4日(月)18時36分13秒

   走行も番号が大きくなるに従って、周りが暗くなりワシの年寄りの目では
番号確認もおぼつかなくなって来た。
ライトが点灯され真っ直ぐ来る為目がくらみ、寸前でコーナーを行く番号を
読み取れなくなる。最後には車のカラーも見えなくなり一瞬のシルエットで
車の車種を特定する位・・・。
それでも岡田君は前に出て行って番号の確認をした。あの一瞬で読み取るのは
凄い!感心した。ワシも20年前なら多分彼くらい見えただろうが・・・。
全て終わったが、前半で結構落ちてる車がいるらしくスイーパーがなかなか来ない。
一応前のテープを取り去って看板も外して移動準備を完了。オレンジの柵については
とても車に積めないので回収班に(いるのかどうかも何も聞いてなかったが)
任せるしかなかった。
「スイーパーが来るのがかなり遅れそうなので○○番から◆◆番までは移動準備が
 出来次第移動を開始してください」とワシは聞いたし解釈した。
で、ワシはゴールに向かって移動を始めた。道は掘れて酷い有様だった。ゆっくり
走ろうものならカメになってしまう。3回くらい危なくつかまりそうになりながら
必至でゴールについた・・したら・・・冷ややかな目線の雨・・・。
「なぜスイーパーを待たないで勝手に降りたの?」
・ ・・・それじゃあ、あの指示は誰が出したの?・・・ワシの空耳?
やあ、バツの悪い事。まして自分の山では無いしなあ。ここは他のクラブの山
である。なんか大変な事をしてしまった気分である。
ストップまで行くと伊藤さんがいたので助けを求める。
「やあや、大変な事をしでかしましたね。」と意地悪く言う:涙。
まあ、他のクラブは居心地が悪い事・・。誰もが冷ややかな目で見てる気がして
仕方ない。でも多分皆関心ないことでもある。「アホがいる」くらいかな。
後で分かったが、ワシだけではなかった。同じ解釈をしたクルーがちゃんといた。
暫くしてスイーパーも来た。
キャデラックの森下と青木コンビが「行こうぜ」と言うんでホイホイとつるんで
下山。足寄でガソリンを入れていると高橋君から携帯。
「俺の前の番号まで移動指示出てたけど、何も言って来ないんで待ってたら
 忘れられたみたいでさ、最後の回収車が見つけてくれて、これから下山するとこ。
 食事一緒にしようよ、待ってて!」と悲痛の叫び。
トラッキングの長がいない事から発生したチョンボである。まあ、来年はこんな事は
再び起らないとは思うが・・。
1時間は余りに長いので後で付き合う事にして森下・青木コンビと指定の食堂に
入った。いつものカレーだと思ったらブタ丼が出た。美味い、が量は足らない。
そば屋なので、他のメニューは注文できないかと聞いたが今日は出来ないと
言われる。そりゃあそうだなあ。
ネイパルの駐車場で高橋君が降りて来るのを待った。給油して戻って来た高橋君を
乗せて再び食堂へ。外で待つ。ワシ・・眠ってた・・。
ネイパルに戻って暫く車の中で高橋君の怒りを聞く。「ありえねえべえ!」
そうだ、有り得ない事であった・・はずだが、今回は起ってしまっただけ。
2時間近く意味無く放られた事になる。彼は「見つけてくれた」と言っていた。
クロージャーは声を出せない。指示を待っていた。溜息である。
明日は明日の風が吹く。明日は他のクルーと合同になる。どうすりゃ良いのか
分からないが、例え外人が来ても何とかなるだろう・・と。
ウトウトしてると森藤君がビール片手に窓をたたいた。
「風呂、入らないの?」「俺は眠い!眠せろや!」彼も車中泊の口である。
ボロ布状態で眠った・・朝3時半まで爆睡状態。
 
 

2006WRC その3  投稿者:ふるふる  投稿日: 9月 4日(月)17時14分49秒

   てな事でSS4も無事終わり高田さんが弁当を持って来た。なんか高田さんの
顔を見ると安心できるから不思議である。
もうすぐインフォもエキップも過ぎて000が来ようかと言う頃、スティーブン
スピルバーグとセガールに似たWRC TVコンビがやって来た。
この二人はWRCカメラマンと全く違い、非常に人柄も良かったが、
「TV is No.1」・・・なんか昔聞いた事があるが・・「オレンジの柵が邪魔なので
ここからここまで取り去って良いか?」と聞いて来た。
つまり、NO GO ERIA の柵を少しどけろ・・と言う意味である。
そんな事、トラッキングのワシに言われても判断が出来ないじゃろがあ!
「桜だあああ」さんも「福だあああ」さんも携帯が通じない。他のコマンダーへの
連絡の取り方も知らない。トラッキングは既に始まっている。
この複雑な状況をトラッキングの残り30秒で説明できるか?
手段が他に見つからない。そんなもの持ってない。
唯一オレンジ本にあるのはHQの事務局。頼みの綱で事務局に連絡してみた。
せめて他の福本さんや伊藤さんコマンダーの電話番号でも聞き出せれば・・と。
そうしたら「WRC TVの件で・・・」と言いかけたとたん
「コマンダーに聞きましたか?」「いえ、まだです」だからそのコマンダーと
連絡取れないからそこに掛けたんだが・・・。
「あなたがどうしてここに電話してるの?コマンダーに言いなさい。」
ワシだってそれ位知っとるわい!ワシの名前を聞いてしょうが無いクソ親父と
すぐ判断したんだろう。わらにもすがれないWRCである。
WRCと言うのは須らく「人の話を聞かない」ものであるらしい。
なぜ事務局を頼りにしたかの疑問も起きないらしい。こんな人間しかいない
HQがワシはだいっ嫌いなんである。門前払いならそうならない方式を考えろよ!
仕方無しに携帯の他の連絡つきそうな番号と人員と照らして探していると
「ハーイ」と言って3人のタバードをつけてないポルトガルのスバルチームの
親子がやって来た。「ジャストモーメン!ハブ・ユー・タバード?」
そうしたらこれが見えないか、とばかりにフィレデンシャルカードを指さされた。
岡田君にスイッチ。ワシがトラッキングをやっていると、長々と話を始めた。
「このカードは何処にでも入れるはずだ!君はこの有名なスバルを知らないのか?
 我々はそこのスタッフである。」
てな内容らしい。WRC TVの方は時間になったんで撮影を開始していた。
取り敢えずそっちは彼らなりに納得したらしいんでこっちに集中する。
オレンジ本を取り出しフィレデンシャルカードの説明を読む。彼等の持ってる
グレーカードには彼等が言ってる風に書いてあるが、ニュアンス的に曖昧。
カード番号と彼の名前を聞いて、トラッキングの残り30秒を使ってHQに
問い合わせてもらう。
「入れても構わない。が、彼等の生死については関与しないと言え。」的に
言われた。誰がそんな複雑な説明をするんだ?
そしたら、彼らからココで見ていて良いか?と、我々の横のテープ脇を要求して来た。
コース内では無いから安心できるし、OK!と言う事で落ち着く。
と思ったら。またまた後ろにプレスの車のライトが見えた。
このクソ忙しい時に・・今度は何だ!!!!
表れたのは日本人のプレスカメラマンだった。そうして紳士的で人当たりも良い。
フーっと溜息がでた。ようやくトラッキングに集中できる。
ところが、中継が代わって声の小さい人になり、よく聞き取れない。
それと、マイクスイッチと同時に話す為最初の番号が聞こえない。走ってくる
車の音の中では聞き取れず、自分の番が何時なのか分からなくなる・・・。
ボリュームを最大にすると前の番数のラジオの声が強烈で割れる・・。
車が固まって車番が連続したりするとラジオ番号が無いから何処までの
トラッキングか一瞬不明になる。まして外の車のエンジン音や走行音で益々
聞こえなくなり、ラジオ5が言ったのか中継が言ったのか判断がつかない事
が何度もあった。それでも「○○、了解」と言う言葉で中継だと判断できた
ので、この日のトラッキングがワシの標準になった。
声の大きさ以外に不自由は無かった。速い車が走り終わる頃にはWRC TVも
外人カメラマンもあの親子も皆居なくなった。入っているのはあの日本人
カメラマンだけ。WRCなので当然と言えば当然。
 

 
2006WRC その2  投稿者:ふるふる  投稿日: 9月 4日(月)13時30分53秒

   山に入って配置位置に来た。『桜だあああ』さんが
「言ってなかったけど、ここはプレスポイントでプレスが入る。図の赤の部分
 には人を入れないで。車のシールとタバードとフィレデンシャルカードの3点
セットを確認してね。」とのお告げ・・・ヲイヲイ・・
「危ない場所にいたら注意して、言う事聞かないなら排除して良いから。報告書
 に書いて」とは「福だあああ」さんのお告げ・・・ハア・・・
インフォがここのプレスポイント図を置いて行った。
配置についてしばし、インフォがここのプレスポイント図を置いて行った。
WRCタバードの日本人プレスがやって来た。説明しようとしたら
「私は世界中を回ってるから、危険ポイントは自分で分かってる」って偉っそうに
 ほざいた。人の話も最後まで聞かないでいて良くぞ生き残って来たもんだ。
 おてつき!ああ・・話になんないんで勝手にさらす。
次に来た外人プレスも「NO GO ERIA・・・」と図を指して説明しようと
したら「OK・OK」とズンズン入って行く・・取り合えずタバード番号だけ控えて
勝手にさらした。
ワシが理解したのはWRCのタバードをつけてる連中は鼻持ちならない高慢ちき
ばかりだと言う事である。くそっくらえ!
人の話を聞けない奴は馬に蹴られて死んでしまえ・・とはじいちゃんの遺言である。
SS4:WRカーが走り始め、初めてのトラッキング開始。
中継の方が絶妙な話し方と、綺麗な通話で関心しながら進む。スイッチを押してから
半呼吸置いて話すので、全会話クリアー。
たまにストップがトップになったりプになったり「プなし」と言うと岡田君が
面白いと言っては笑っていた。しかし、ストップと聞けたのはこの方だけであった。
WRCシード組が終わり、プレスがボチボチ上がって来た。
その内の一人がワシ等の車の後ろでシャッターを切り始めた。
ワシ等のいる場所はNO GO ERIA であり、ここは通過以外に立ち入り禁止
である。オレンジのエリア柵もありテープで仕切っている。その中で撮影して
いるのである。
「ノー!アウト!」ワシは思いつく英語などありゃあしない。「シャッター ノー!」
図を片手に「レッドはデッドエリアだ!」
したら「お前の車がいるのに死ぬ訳はねえだろ・・」的に反応して来た。
「だから、ノー・ゴー・エリアだべや!わからねえのかこの図が!こっから出て
行きな」手で外を指さす。
「クレージー・クレージー!ユアクレージー」とわめき散らす。
あんだあ?この外人?
そうしたら今度は車の中でワシの代わりにマイクを持ってトラッキングを
続けている岡田君に向かってベラベラ喋り始めた。
岡田君は海外経験もあり少し英語が分かるので、ワシがマイクを持って
トラッキングを継続、彼に会話を任せた。
岡田君に向かってギャースカわめいた後で車をドンドンとたたいて帰って行った。
岡田君に聞くと「早すぎて殆ど分からなかったけど、日本人はせっかちでいけない」
と言うニュアンスだったらしい。
最後は「こんな車壊してやる!」のドンドン・・だったらしい。
やっぱWRCのタバードは変ちくりんである。
オイラはただのトラッキングだ。今後はプレスポイントにはバイリンガルを用意
しといてくれい!それとメディアの対応マニュアルはねえのか?
どのタバードが偉くて何のって、ただのトラッキングにどうせえっつうんだ!
報告書を書いた。しかし、ここは何の回収も無いんで・・・求められなかったし
・今、手元にまだある:汗・・・。
ま、終わった事だし・・えっか:笑。
 
 

 
2006WRC その1  投稿者:ふるふる  投稿日: 9月 4日(月)12時20分7秒

   ps)どうもここに「桜だあああ」さんも訪問されておられるようである。
つう事は悪口通筒抜けと言う事で、ますます頑張るワシである:笑。

講義を終え、銭函から高速に乗り大谷地インターで降りる。
夕張線から日高・清水・鹿追・・
1ヶ月前に通ったばかりなので、新鮮味は無いが、車がVitzになった事で
峠を結構遊べる。特に下りは満開で行けるので退屈しない。
清水に降りる頃「桜だあああ」さんより携帯が入る。「HQに来る?」
HQが何より嫌いなワシである上、時間も押してるんで現地に直接行く事にした。
だいたい、ワシを帯広に呼ぶな!道がサッパリ分からないんで多分迷子になる!
宿は足寄ネイパル。案の定であった。車中泊決定。
先日のトライアルの時に「福だあああ」さんから人員などを書いたメール
を送ってる旨の事を言われた。ワシ封書だと思って待っていたが何も来ない。
で、メールも無かった・・・多分、昔のアドレスに送ってる・・。
ネイパルで受付をして、人員配置リストを貰う。相棒は岡田君。初顔であるが
3年前からWRCにやって来ている埼玉の方であった。去年まではFIVだった。
9時過ぎから体育館でミーティングとなる。高橋君はまだ向かってる最中だった。
注意事項として、無線のスイッチ押しっぱなしの事が上がっていた。これは
1ヶ月前のワシのやったチョンボである:笑。
ミーティングの後に、外で早々と装備の配布が行われた。これは正解である。
朝起きて配布と言うのは混乱するし時間を押す原因にもなる。
WRCで初めて無線を渡される。FFでは小電力しか貰えなかったんで移動時も
いつも不安であった。周りで何が起ってるのか分からないんである。
今回トラッキングをやってみて、トラッキングの情報をFFが聞けていたら、
FFでの不安も混乱も殆ど無くなると思えた。
車番の確認も簡単になる。車番確認を強要しているくせに、トラッキング情報を
伏せているってのは変だ。無線は要らないからせめてレシーバーを与えるべき
であると思うがなあ。まあ、二度とやる事もないからどうでもえっか。
車中泊はワシだけかも・・と思ってたら結構いた。
タバコ吸い、シーツ嫌い・・理由はそれぞれだが似たり寄ったり。
トラッキングに長がいなくなっていた。トラッキングやクロージャーのまとめは?
考え方の違いなんだろう。
人員配置表を持ってない高橋君と正しい時間表を持っていない森藤君と詳しいリスト
を持っていないワシ。仕方ないんでセコマでコピー取ったり氷を仕入れたり・・。
朝3時40分、目が覚める。集合、隊列を決める。ワシは36番。いざ出陣。
 

VitzにてWRC  投稿者:ふるふる  投稿日: 8月30日(水)00時02分9秒
   役務がトラッキングなんで、装備も殆ど不要。せいぜい身の回り品と万が一の
予備タンクやパラソル程度なんでVitzで行く事にした。
WingRoadはここんとこハンドリングの調子が悪く、見て貰うにも師匠もWRCのサービスに
帯広入りしてる頃であろうと思われ長距離は避けたい。
元々オフィシャル登録では車両をVitzとしているので何の問題も無い。
明日半日かけてトラッキングVitzの用意をする事にしているが、雨みたいなんだな。
車番確認の仕方が不明なんで、新兵器を投入したいが悩んでいる。予想通りなら使える。
天候は晴れみたいなんで雨具は少なめにした。
アンテナ勝負なんだろうけど車がVitzなので長物は搭載出来ないので思案中。
照明は必要になるんだろうか?カバン一つであるがマスが決まっているので明日に
持ち越し。多分車中作業が主なんで使う事は無いと思ってはいるがなあ・・。
足寄のネイパルであれば車中泊なんで今回は寝袋も考えている。考えれば装備は
膨れあがるのであるが、山に入ってからでは主催者には全く頼れないんで兼用を考え
ながら今一度練り直す事にしている。
 
 

2006WRC その8  投稿者:ふるふる  投稿日: 9月 6日(水)06時55分44秒

   様々なWRC
同じ山の中でもいろいろ聞くと様々なちょっとしたトラブルやちょっとした事件
を抱え、悩み、解決、妥協しながら進行していた事がよく分かる。
HQの人間の考え方として「一度何かの役務をやれば全ての役務ができる筈だ」
と言う多分「オンタイムラリーのチェック」の頃と変らない考えのようである。
トラッキングも単なるポストなら誰がなっても変らない。
1年目、2年目とかなり真剣に各役務のレクチャーをやっていた筈だが、ワシもそう
だが、トラッキング用紙の書き方さえ知らなかった。
無論回りには経験者がいるから、始まる前にはやることは分かってはいた。
ところが、レクチャーされなければ分からない事もある。
ユニットの組立が分からず結局やって貰う。トラブルが起るが対処がすぐに
出来ず(あまりにずさん)競技は進むがWRCとは思えない状況。
少なくとも、その中に経験者が一人でもいれば何の問題も起らなかったはずと
思われる単なるマイナートラブルも解決できないクルーの編成。疑問である。
とても3回目のWRCとは思えない混乱ぶりを聞くにつけ、溜息が出る。
そのトラブルを乗り越えた事により次回は多分対処できるのだと思うし
今年の経験が来年に繋がる。来年もそのクルーであるなら・・。
しかし、それは第1回目で経験した事であり、2回目には生かされていた筈。
3回目にして1回目の如きトラブルを招いている現状が、明らかに不自然である。
しかし、この現状をHQが正しく把握することは無い。誰もトラブルを
上に上げる事をしないからだ。
例えばワシがスイーパー前に降りてしまった事などはワシの問題であり誰の
関心ごとでもない。WRCのオーガナイズの一員として最低の事をしてしまった
のではあるが、それでは波の指示はどうして出たのか?
「常識としてスイーパーが過ぎるまでいるっしょ普通」と指摘された。
「指示が出ても拒否すべきだ」と言われた。
ワシが取った行動はラリー屋としてはあるまじき行為である。しかし「待機」と
思っていた矢先に「移動」の指示を貰ったんで「へえ、この山じゃ有りなんだ・・」
と考えた訳だ。実際同じ考えで降りて来たクルーがある。しかし、彼らは2組目
であり、多分誰も何も言わなかったはずである。2例目が出た事によって
「指示」があった事が明白になったからである。
山(クラブ)によって様々な考え方がある。だからワシも面食らう事がいっぱい。
自分の山とは違う考え方の所に入れられて、その指示で動くのであるから何が
出ても不思議ではない。
ある役務はトラブルを解決する為にコマンダーに聞いても分からず、闇雲に
あちこち周囲の人間に聞きまくったらしい。初期段階でバンザイしている。
仲間内では「大変だったんだあ」と話すが、それを上の人間が把握する流れが
何処にも無い。コマンダーはトラブルを細かく報告しない。問題と思われる部分を
自分達で解決すればそこで終わる。へたすると軍法会議にかけられ責任問題に
なるからでもある。
上っぺらさえ綺麗であればHQは上手く行ったとFIAに報告すれば良いから、
次の年にどう改善しなければならないかなど関心が無いんである。
「そりゃあ、各山やコマンダーにまかせてある」でお終い。
改善されてしかるべきなのに初期トラブルが3回目でも起っている状況も
変だと思うコマンダーがいなければ一緒に「大変だったべ」でお終い。
「こうした方が良いのに」とか「こっちがベスト」と言う現場の意見は
未だに個人個人の「話題」の中で交わされるのみである。
3年も経ったのに・・インターの1回目の悲惨な状況から考えれば素晴らしい
開催に仕上がっているが、WRC1回目の開催と山の状況を比べて取り立てて
褒め上げる部分は見つからない。
トラッキングで言えば、SS4をワシが褒めるのは、まず山がC山なのでラジオ
ポイント数に「C」を加えた事である。これによって、他と波がかぶっても
自分の山の情報と確実に判別できる。実際他の場所で波がかぶっていた状況が
あった。こう言う処置は外すべきではないとワシは思うがなあ。
更にスイッチから半呼吸置くと言う「経験者」の安心感。明確な言語。声の大きさ。
各トラブルでの対処・・・3年目の鏡であると関心しごくであった。
このような方と一緒に役務がしたいと誰もが望むんである。
まっさらな経験で、最初にこの方とトラッキング出来た事は宝でありパッピー
であった。そうでなかったら「トラッキングってこんなもんか」で終わって
いたと思うのである。