第一話 宇宙消滅の日
博士はつぶやくようにだが、力強くマイクに向かって言い放った。
「人類は・・・人類はその歴史の上で、過去一度足りとも 悔い改めた事はない。」
溜息を吐いて天を仰いだ、その目は遥か虚空の宇宙を見詰めているようであった。
会場を埋めた聴衆の全てが固唾を飲んで博士の言葉を待った。
「嘘を吐いていたオーウェンは、しかしながら我々に悔い改める機会を与えて
くれたのかも知れない。
予兆を与えるキッカケになった彼ではあるが、彼自身は単なるマッド・サイエン
ティストに過ぎない。彼の最終論理に救うべきものはない。
しかし、その嘘を検証する為に始めた我々の観測結果は想像を裏切って最悪
の未来を知る事になった。」
博士は目を聴衆に向けると言った。
「人類に残された時は僅かだが、回避できる可能性も同時に残された。
人類は初めて悔い改める事を強いられている。」
会場のどよめきは、やがて悲鳴に変わって行った。
生きると言う命の瞬きをおろそかにして存亡の繰り返しに何の疑問も持たず
愚かな歴史をつづって来た人類が始めて向かえる完全滅亡の予感。
それは「私」を認識する意識そのものの消滅に他ならない。
現実宇宙は消えても「宇宙」は宇宙で有り続けるだけである。
しかし、そこに「人間」と言う存在は無い。
やがて来るであろう「ヒューマン・ゼロ」宇宙に絶望したオーウェン博士は
「人類のままに現実宇宙に存在するのは意識のみである」と言う独自の
思想を展開し、カルト集団を抱えたまま悲劇の最後を遂げていた。
その痛手から立ち直る間もなく、世界は今、絶望を目の前にしているのであった。
それでも、殆どの人々は微動だにせず、壇上の博士の話に耳を傾けたのである。
両の手を延べて観衆を静めながら、ゆっくりと語り始めた。
「元来宇宙は不確かであった。それを究明するために多くの天才達が数多くの
理論と観測や実験を繰り返して来たのである。
問題は常に『光』であった。 『光』以上の速度を見つけられずにいた。
よって『光』による『実像』を真実として捕らえる事しか出来なかった。
例えば、200億光年先の光を観測しながら、200億年後の現在を観測する
事は不可能だったのだ!
宇宙の膨張や収縮と言った『光よりも速い』現象を知る手段は全く存在
しなかったのである。
人類が宇宙に存在している時間は、宇宙のほんの瞬きにも当たらない。
しかしながら、その本流の時間の流れの中に我々は存在
しているのである。
『光』とは何か・・・これを現実的に解明するのは容易な事では無い。
なぜなら、3次元空間から4次元を観測する如きであると推論される。
有りや無しやも解らぬ観測結果を、どう解釈すれば真実として3次元の我々が
納得できると言うのか・・・。
『光』は波動と粒子の別な要素を含んでいる。
『光』は観測出きるが『捕らえる』事は出来ない。
『光』は物質そのものでは無いと言える。
『光子』として存在を意識でき、観測し感じはしても、それはどう言う
ものなのかを『解明』する事は不可能だった。
その永遠のテーマがオーウェンの悲劇の源であった。」
博士はおもむろに後ろを向いてオーウェンの地図と呼ばれるグジャグジャな
螺旋図を指さした。
「この図は、オーウェンが我々に残した唯一の良心であります。
一見不規則に見える脈動の痕跡値なのですが、我々の観測結果とほぼ
一致しました。これによって、知らなかった未知の領域・・『光』に寄らぬ
領域を捜査できたのです。
彼の理論の出発は『終末論』にありました。
奇跡とも呼べる観測結果を残した事は否定しませんが、悪は全ての良心より強し。
彼が、この観測後に行った結論と報告方法が問題です。」
忌わしい過去の記憶を呼び醒まして、一瞬博士の顔はくぐもったように見えた。
「どのような場合であれ、未来を哀れんで集団自決の路を歩んではならないのです。
彼のカルトは世界規模の約160万人の自決者を出しました。
これは世界大戦に匹敵する死者の数でありました。
祈りや生贄で現実が変わるなど、有り得ないのであります!」
会場はどよめきが生まれ、あちこちからすすり泣きも聞えはじめた。
しかし、会場はすぐに静まりかえっていった。
誰しも、現実に起こるべき事実を知りたくてここに留まっているのであった。
博士は続ける。
「物質に反物質があるように、光子にも反光子があるのではないのか?
これが「オーウェンの回帰論」の始まりでした。
彼が観測しようとしたのは光の裏側だったのです。しかし、そこに観測されたのは
脈動する宇宙空間と言う途方もない推論でした。
その脈動の速度は理論上光よりも速く、正常に見える現在の銀河が潰れつつ
ある姿でした。
我銀河は正に螺旋の最外淵に存在し急速に脈動から外れかかっている・・・。
その波動の幕とも呼べる切れ端が正に銀河を食い破り僅か数光年先に到達
していると推論したのです。
様々なカルトが人類の歴史に登場し、消えて行きましたが、彼が純粋な天文
論理学者であった為、その声は真実に聞えました。
我々が動いたのも、狂気の沙汰と呼べるその理論を駆逐する為でした。
しかし・・・・それは事実でありました。」
博士は目を聴衆に向けたが、声を出すものはいなかった。
ここまでは、オーウェンの自決闘争劇で明らかになっていたからであった。
聴衆は、その先の言葉を待っていたのである。
オーウェンの地図に赤いペンで印しをつけながら博士は話を再開した。
「距離で言えば2光年程の位置に壁はあり約7光速から8光速の速さで
太陽系に近づいています。
もし宇宙の姿をその先に見ようとしても、どうなっているのかは誰にも判らない
のです。
おそらくその時「ヒューマン・ゼロ」が眼前にあっても光でしか見る方法を
持たない我々には何も分からないのです。
その衝撃がどのような結果を生むのかについても一向に理解不能なのです。
ただ・・・・」
博士は言葉を詰まらせた。
「ただ・・・短い期間の観測データからなので、根拠が薄いのですが・・・
過去に銀河はこれを経験している可能性を否定出来ない。
何故なら、螺旋が動けば螺旋に戻ると推測出来ます。
しかし、そこに根拠は見出せないでおります。」
初めて会場がざわめいた。博士は手で聴衆を静めた。
「端点の太陽系侵入は約4ヶ月後の7月26日となります。
光より速い為、一切の現象は観測できません。
ですから、人類に出来る事は「待つ事」のみです。
しかし・・・・「滅亡」と言う結論が正しいのかどうかすら不明なのであります。
・・・・と言うのも、勘違いして頂きたく無いのは、オーウェンの終末論は
過去のカルト同様、現宇宙が滅亡するものでありました。
ハッキリ申し上げて根拠は何処にも無いのです。
反光子は観測の揺らぎから推測されたもので、絶対真空の分布変動が
主な理由です。
その分布の僅かな時間経過と共に変化する揺らぎが宇宙地図である
「オーウェンの地図」に書き込まれた螺旋の重なりです。
そこに見える光の到達速度では明らかに速過ぎる変動から「壁」を特定
するに至りました。
我々の観測ではオーウェンの観測より数倍精度の高い観測結果を得ましたし、
速度も推論出きるに至りました。
しかし、現実世界には存在しない「物質」でないものの影響など「有り得ない」
のだと我々は推論するに至りました。
・・・これは、混乱回避の為に申し上げているのではなく「現実宇宙」の現象
とは別のものであり、「現実宇宙」 には何の変化も 生じないはずであると
結論するものであります。」
会場はどよめいた。しかし、博士に向かって質問する者はいない。
「現実宇宙には光より速いものは「存在できない」のです。
波動が現実宇宙に影響を及ぼすと言うのなら、何らかの均一または一定の
方向性を持った観測結果が過去に観測されていて不思議ではないはず。
しかし、どこにもその影響は見えないのです。」
この演説は地球全てに向けて発せられた。
そうして7月26日の「端点(ヒューマン・ゼロ)太陽系到達」の日、再び博士は
聴衆の前に立った。
インタビューアーが博士に質問した。
「博士の言葉が真実と受け取られ、平穏のままに今日を迎えました。
博士のメッセージをお願いします。」
博士は壇上に向かい、聴衆に一礼した。 そして、半ば口を開いて絶句した。
涙が頬を伝って落ちた。
「我々は・・・・」
博士は叫んだ。
「人類は生き残った!」
会場がざわめいた。
インタビューアーが驚いて壇上に駆けあがった。
「博士!どう言う事でしょうか?」
博士は腕の時計を高だかと上げた。
「現在7月26日午前10時46分!過ぎる事10分前、午前10時36分・・・・
地球、そうしてこの場を波動終端が通過したのであります!
ヒューマン・ゼロは起こらなかったのです!」
会場は一瞬静まり返った。
そして一様に皆、自分の両手を見詰めたのであった。
第ニ話 奥様は動物がお好き
三の宮は私の高校時代の同級生である。
彼は高校を卒業後、婚約者の大金持ちの娘と結婚するべく、王道教育を
受け彼女の父上の後継者となった。
アメリカのテキサスか?と思う程の山を三つも含む広大な土地の屋敷に
住んでいるのだった。 あれから20年。
久し振りに同窓会で顔を合わせた。
特に親しかった訳でもないが、一番話し易かったのだろう私の隣に来て
からは、おひらきまで。
更に二次会、三次会と僕らは楽しく過ごした。
さて、もう帰ろうと言う段になっても「何処かに行こう!」と私の肩を離さない。
まあ、20年振りなので、近場のコーヒーハウスで酔い醒ましをする事にした。
大瀬と言うのが今の彼の苗字だが、私達は昔ながらの「さんのみや」で
呼んでいた。
運ばれて来たコーヒーをすすりながら三の宮が口を開いた。
「俺、皆には言わなかったけど,そんなに豪勢な暮しをしてはいないんだ・・。」
しかし、そうは言っても大瀬財閥と言えば近在でも屈指の大財閥。
例え養子であっても権力は絶大な筈である。
「綺麗な奥さんもいて、第一、大瀬財閥の後継者がそんな事を言っても信じ
られないよ!」
私は一般的な受け答えをした。
「んーーん。確かに数百億の財産もあるし、女房も相変わらず綺麗だと思う・・・。
世間的に見ればなんの不満があるのか・・と思うよな?」
いわくありげな彼の言葉と、おそらく他人に初めて明かす秘密の匂いを
感じ取り、私は彼の話を真剣に聞く事にした。
「始まりは結婚して直ぐに飼い始めた犬なんだ。」
コーヒーをすすって全容が語られはじめた。
「ウチは山を3つも含んだ広大な屋敷の土地なので周囲を12kmに渡って
金網のフェンスで囲っているんだ。
犬が迷子にならないようにって犬探索用のカメラが敷地内に20機
取りつけられた。」
なんちゅう話じゃと驚いていたが、そいつが予兆であると気がつくのに
さして時間はかからなかった。話は可笑しな方向に走り出した。
「ある日その犬がフェンスを破って逃走をはかった。
メスだったんで、どっかの犬とナニしちゃったんだろうなあ・・・
そのごテテ無し児を6匹産んだ。
女房は寛大だけど、その時は怒って犬を警備員にあげて、猿を買って来たんだ。
猿が逃げたら困るって、フェンスを二重にして監視カメラを50台に増やした。
んで、猿の管理の人間を一人雇ったんだ。」
金持ちって凄いなあ・・・・と思ったが、話はもっと凄い事になった。
「猿が一匹じゃ可愛そうだとつがいにして、更にモモンガとリスを
3つがい買って来たんだ。
でも、あれって家の壁を汚したり傷つけるじゃない・・、結局
山に離してやった。
小動物の管理もいるってんで更にフェンスを増やして監視カメラも
一気に100台に増やした。」
「すげーじゃん!さすが大金持ち!」
彼は一気にコーヒーを飲み干して、ウエーターにお代りの注文を入れる。
「家は代々あの屋敷に住んでいる。
世襲なんだ。
僕が世襲する時の10ヶ条が死ぬまで生きていて、必ず守らなければ
ならないんだ・・・・。
その中の一つが、あの敷地内に暮せと言うものだ。
マンション住まいなんか出来ないんだよ。」
何の前振りだろうと不思議に聞いていた。
「女房は動物が鎖に繋がれるのは可愛そうだと全部離し飼いにする・・・。
最初の1年で増えた動物はふくろうやたぬききつね、鹿にぞう。
なんかだったな・・・」
「像?あのでかい像かい?」
「うん、女房の希望でね。
サファリパーク並に色々な動物を飼いたいってさ・・・。
どんどん増えて、20年経った今じゃ何が何匹いるんだかさっぱり判らない。
ジャッカルやライオンやピューマさえいるし・・。
こないだは、マウンテン・ゴリラに襲われちゃった。」
「えええ?!マウンテン・ゴリラ?・・あれって個人が飼える訳無いじゃん!」
ウェーターがお代りのコーヒーを持って来た。
彼はズズッとすすって話を続けた。
「公開はしてないんだが「大瀬サファリパーク」と言う登録になっていて、
法人所有から、公共施設扱いって事になってる・・・。
だれだっけ、あの・・ほら・・あの大臣・・・・。
昔から可愛がってもらってたらしいのよ、女房・・。
だから、結構世界の希少種もいるぞ、ジャイアント・パンダとか・・・・」
彼の話を聞いてめまいがしてきた。
「あんまり動物が増え過ぎたんで、公共施設としての許可が降りた7年前に、
国有林を5山程くっつけて今じゃ周囲46kmが我屋敷だ・・・。」
彼は溜息をついた・・。
「そいじゃ三の宮の家って鉄格子か何かで囲っているのかい?」
私の質問にコーヒーをすすりながら上目使いで首を少し横に振った。
「我家はそのままさ・・・。何の囲いも柵も無い。ライオンやカバが
堂々と散歩してるよ・・・。」
「それって危険じゃン!」
正に的を得た、とでも言うように彼は僕の目を見詰めて静かに言った。
「調教してる動物じゃないから・・いつなんどき猛獣に襲われるかも
知れない。
かと言ってかの土地を出て暮す事は出来ない。
弁護人と10ヶ条をこねくり回して、やっと見付けた我家で今暮している。」
・・・やっと見付けた?
「女房は結構気に入ってるから、ま、幸せと言えん事もないが、
下にいるよりはグッと危険が少なくなったよ。」
「下?・・・???」
意味が不明だ・・・。
「ビルでも新たに建てたのかい?」
「そうじゃないんだ。10ヶ条には家屋敷は木造に依ると明記してあったし、
来客を追い返すような扉などは禁止されてるし、柵を家に巡らすのも
禁じられているんだ。
まして周囲500メートル以外に屋敷を建てる事も禁止されてるんだ。」
益々訳判らない・・・。三の宮は今何処に住んでいると言うのだろう?
「そんなんで、身を守れる家なんてよく出来たねえ。」
彼の目がランランと輝いた。
私は大金持ちになった事が無いし、永久に無いと思う。
その答えを聞いて、私は貧乏アパートに住んでいるのが嬉しく思った。
「で、結局、今どんな屋敷に住んでるの?」
彼は答えた。人指ゆびを天に向けて。
「樹上生活!」
・・・・彼が猛獣に食われた話はまだ聞かない。
収録作品:第一話「宇宙消滅の日」/第二話「奥様は動物がお好き」
/第三話「魔法ワークス」/第四話「ブンブンブン」
/第五話「異世界からの漂流者」
/第六話「スーパーマンの都市」
/第七話「厳選なる抽選」/第八話「未来を生む植物」/第九羽「戦勝国の憂鬱」
/第十話「慈悲のココロ」/第十一話「完璧!人工頭脳MARIA」
/第十二話「記憶」
/第十三話「名も無い手紙」
/第十四話「Mの恐怖」