歴史をあさっていたら、以下のようなトンデモ文章に行き当たった。
本当にこれが検証なのだと思えない。んだ、こりゃ!
 
ただ、一度読んでみる価値はあると思った。    by.ふるふる

  2005年07月02日

   「人口調査や研究書でも検証 ほぼ完璧に否定されている南京での“三〇万人虐殺” 」

   『週刊ダイヤモンド』    2005年7月2日号

   新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 598

   先週の当欄で、韓国元首相金鍾泌(キムジョンピル)氏の発言に触れた。
  氏は、日本軍は南京で30万人を虐殺した、南京の人口は1937年、38年当時、60万人
  いたのが、日本軍の30万人虐殺のせいで30万人に減ったのだと憤ったのだ。
 
    6月20日、折しもソウルでは日韓首脳会談が行なわれ、盧武鉉(ノムヒョン)大統領は
  2時間の会談時間のうち、1時間50分を歴史問題に費やし、日韓両首脳の共同発表後
  の晩餐会に関しては、「夕食は軽めにする」と述べた旨、報じられた。
  首脳会談がいかに激しいやり取りに終始し、冷え切った雰囲気であったかを示す発言だ。

   日韓の摩擦の原因とされている歴史問題に関して、事実にそぐわない認識を持ち、
   その認識を政治的に利用する風土はまったく変化していない。

   韓国も中国も、日本を責めるために、歴史を歪曲し続けてきたのは否めない。
   その一例が、まさに金元首相の指摘した数字である。

   37年12月13日に日本軍は南京を占領した。
   このあと3ヵ月間続いた占領期間に、日本軍は虐殺に続く虐殺を続け、30万人を
   殺害したというのが30万人説の基本だ。

   その数については長年、議論が続いてきた。
   だが、ここ数年間に発表されたいくつかの研究書によって、30万人説も大虐殺もほぼ
   完璧に否定された。
   それらの研究書は、鈴木明氏の『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社)や
   北村稔氏の『「南京事件」の探究』(文藝春秋)などである。
   いずれも、中国側の資料を読み込んで物したものだ。

   南京大虐殺だといって日本を非難する中国側の資料を研究することで、皮肉にも、
   彼らの言う南京大虐殺が存在しなかったことが明らかにされたのだ。

   北村氏は著書で、米国人スマイスの報告を検証した。
   スマイスは、日本軍の大虐殺を確定するための証言や資料を提供した人物の一人だ。

   37年当時、金陵大学の社会学教授だったスマイスは統計に通じた人物だった。
   そのスマイスは、37年12月12日から13日当時の南京の人口を「20万人から25万人」
   と報告していた。

  翌38年3月にスマイスが行なった調査結果では「22万1,150人」とされ、以下の
   ように書いてもいた。
    「この数は当時の住民総数のおそらく80ないし90パーセントを表しているもので
    あろうし、住民の中には調査員の手のとどかぬところに暮らしていたものもあった」
    (『「南京事件」の探究』158ページ)。

   日本軍の暴虐を告発したスマイスでさえも、日本軍による占領の前後で、南京の
   人口に大規模な増減があったという記述はまったくしていないのだ。

   一方、日本軍は38年1月初旬に、難民となった中国人を元の住居に戻らせ、
   平穏を回復する努力をした。そのために南京市内の住民の再登録を行ない、
   「安居の証」を発行した。この件について、南京の安全区国際委員長であった
   ジョン・ラーベが証言している。

    「貴下(日本軍)が登記した市民は16万人と思いますが、それには10歳以下
    の子供は含まれていないし、幾つかの地区では、歳とった婦人も含まれていません。
    ですから当市(南京市)の総人口は多分25万から30万だと思います」(同159ページ)

   こうして見ると、日本軍が南京を占領した37年12月13日当日の人口も、日本軍占領
   から約3週間が過ぎた38年1月初旬の人口も、さらに同年3月の人口も、ほとんど
   変化がないことがわかる。

   “人口を半減させた大虐殺”を掲げて、戦後、日本を陥れることに協力した外国人
   本人たちでさえ、大虐殺の存在を37年、38年当時は認識さえしていなかった。

   金元首相は間違っている。
   誰よりも私たち日本人が、歴史の事実を知らなければならない。
   投稿者 ikeda : 10:25 | コメント (0)

 何をか言わんや、である。中国や韓国が歴史を捻じ曲げながら、未だに
 「敵国日本」思想を続けているのは先刻承知である。
 しかし、捻じ曲げるにしても、煙の立たない所に火は無いのごとく
 現実に犯して来たであろう日本の大罪の果てに言われ続けているのである。

 南京に虐殺は無かったですと?
 南京に行って、各地に掲げられてる資料を、全部まがい物だと証明してから
 言ってくれ!

 3ヶ月間で30万人を殺せるものかどうか、またその始末の顛末は国家事業規模
 でなくては無し得ない程のものである。
 いくら狂った上官の命令でも、30万人を3ヶ月で葬り去る2等兵が闊歩して
 いたとは現実味がない。 相手が民衆なら尚更である。
 30万人はおそらくでっち上げでしょうや。 

 しかし、死者数が数百でも数千でも「大虐殺」であろうが!
 人口数の確たる正確さが無いと言っている舌先で、虐殺が無かったと言う
 結論を導き出すそのドス黒い根性に、日本人として恥ずかしさと無念を
 感じる上、上のコメント自体が「捏造」ではないかと言う疑念を覚える。

 少なくとも、南京大虐殺を否定する為には何でもござれ!と言う
 コメントにしか見えず、歴史を直視しているとは考えられない。 byふるふる
 

  2002年07月08日

   「 敗戦直後、日本人再教育に使われた『眞相箱』の実態 」

            『週刊ダイヤモンド』 2002年7月13日号
             新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 453回
 

   過日、古い本を読んだ。『眞相箱 太平洋戦争の政治・外交・陸海空戰の眞相』である。

   今では古書店でもなかなか見つけられないもので、コズモ出版社から1946(昭和21)
  年8月25日に出版され、値段は15円である。

   じつは、私はこの本が文庫本として再出版されるにあたって、若干の解説を書いたのだ。
  書きながら、本当に腹の立つ想いがこみ上げてきた。

   『眞相箱』は、日本を占領したGHQが、日本人教育のために行なったラジオ放送の
  台本集とでもいうべきものだが、戦いに敗れたからといって、ここまで事実を歪曲され、
  虚偽を教え込まれてよいものかと思う。

   読み進むうちに、あの敗戦直後の日本のおとなたち、あるいは物心ついた年齢の
  人たちは本当に気の毒だと実感した。
  彼らは大本営の発表が大いなる虚偽だったと気づいたと同様、GHQの喧伝も事実
  からはるかにかけ離れていることを実感として知っていたはずだ。

  しかし、世はGHQ全盛である。
  新聞もラジオも雑誌も検閲されてGHQ批判はできなかった。
  識者も、GHQ政策の批判はできない。
  GHQの主張はおかしいとたとえ思っても、沈黙せざるをえなかった。
  そのことを論ずることも、いわんや批判することもできない苦しさはどれほどだった
      ことか。

   日本国民全員に教え込もうとするかのように、『眞相箱』は週のうち5日間、
   ラジオ放送された。
  娯楽の少ない時代、多くの日本人がこの放送を聴いたことだろう。
  東京裁判の審理と重なる時期、3年余も続いた『眞相箱』のなかの嘘を、
  いくつか拾ってみよう。

   たとえば「ル大統領の親書」という項目がある。
   これは1941年12月6日、真珠湾攻撃の直前に、ルーズベルト大統領が昭和天皇
   に宛てた電報親書で、ルーズベルトが最後の瞬間まで戦争回避と平和への努力
   を続けたというものだ。
   ルーズベルトが戦争を防ごうとした平和志向の人物、反対に、それを妨げた
   日本の悪しき外相東郷茂徳という構図を描いている。

    だが、東郷外相が陸海軍を抑え、世にいう乙案を米国に示したのは歴史上の
   事実である。
   それは、米国が日本への石油全面輸出禁止と在米日本資産の凍結を解除すれば、
   日本は仏印から撤退すると大幅に譲歩した、まさに戦争回避、平和模索の動き
   だった。

   米国側はこれを拒否して、11月26日に、あのハルノートを突きつけたのだ。

    ハルノートは、それまでの約8ヵ月にわたる交渉のなかで、一度も出てきて
   いなかった新たな実現不可能な条件を要求していた。
   これがどれほど挑戦的なことであったかは、駐日米大使のジョセフ・グルーが
   「この日、開戦のボタンは押されたのである」と、その回顧録に書き残し
        たほどだ。

    そして注目せざるをえないのは、繰返し「日本の無条件降伏」という表現を
    用いている点だ。江藤淳氏が鋭く指摘したように、日本軍は “無条件”で
    武装解除に応ずることになったが、日本国は有条件降伏だった。

    にもかかわらず、GHQは1945年9月に入って軍政を敷いた。
   不当だとの日本政府の抗議も虚しく、日本は無条件降伏の扱いをされた。

    否、ヒトラーが自殺して中央政府が崩壊し、まさに無条件降伏をしたドイツ
    よりもさらにひどい扱いを受けた。

     自由な言論を封殺した検閲も、日本の教育を根幹から揺るがし崩壊させて
     いった教育改革も、無条件降伏という枠組みなしにはできなかったことだ。

     伝統的な日本の価値の取壊しと、“二度と立ち直れない日本”につくり
     替えるという許しがたい意図が透視される軍政を支えたのが、無条件降伏
     である。

           21世紀の日本を背骨の通った主権国としてつくり上げるには、歴史の歪み
     から知っておかなければならない。

                                    投稿者 ikeda : 16:57 | コメント (0)

 歪んでいるのは、このコメンテイターである。!
 当時の日本の思考は、現在で言えばほぼ北朝鮮と同じであり、明確に倫理的
 思考していたのは米国である。
 独国と比べる当り、キナ臭い御仁と見受けられるが、良くも悪くも東郷は戦争屋
 であり、思考は北朝鮮である。

 当時の日本の譲歩は「わがまま」でしかない。交渉相手の意見など聞く耳
 持たぬ(もてない精神病患者そのもの)人間の譲歩など、取るに足らない。
 近代に出遅れた小国日本が、あせりにあせって周辺国に喧嘩を売り続け、
 調子に乗って進軍を続けた結果の敗戦であり、現在の独立国家があるのは
 米国の「世界の大人の倫理」と、鎖国で世界デビューが遅れた間に蓄積
 した「日本人思考」のたまものである。
 大国のエゴについては現在も健在であり、当時の米国も汚らしい思想に
 まみれていたであろう事は予想がつく。
 しかし、米国は世界から見た正義を非常に気にする国であるのは当時も
 同じだった・・と言うか日本が幼なすぎたのである。
 彼等から見たら、未だに東洋の猿でしかない。
 都合が良い時には人間扱いするが、自国の戦略の時には猿と考えるのである。

 米国の単なる植民地とならなかったのが不思議なくらいである。
 ここが大陸の一部であったら、日本は無くなっていたろうし、戦略的に
 使える国、国民であると判断されたのは幸いである。
 伝統的な日本の価値の取り壊し?
 あなたは現在の北朝鮮を認めますか?日本も思想的に同じだったんよ?
 取り壊していたのは軍国主義の方であり 、自由も全て奪ったではないか!
 再度日本を立ち直らせたのは米国そのものである。

 現在、憲法9条の改正などと騒いでいるが、軍備の否定があって日本の
 取るべき道筋が明確になったのは事実である。
 世界でも類を見ない平和憲法が、軍需から民需への道筋を描いた。
 当時の日本人は誰も想像できなかった。この国がたった20年で
 経済大国への道を登るなど・・・。
 むしろ、困ったのは憲法を与えた米国であり、自衛隊を作らせたのも
 米国である。
 米国は多民族国家であり、身を守るのに拳銃がなくてはいけない。
 日本は「お守り」の国であり、武器を取るのは卑怯者の国である!

 現実に武器が無くては行動出来ない事態に世界は向いているが、
 日本は、そこに加担せずに「平和を模索する忍耐」で今日まで来た。
 忍耐が無くなっているのは「戦争」世代が少なくなり、対極の人々
 がいなくなり、見るべき道が見えなくなって来ているからに他ならない。

 「専守防衛」と言うお守り札しか持たない日本であるから胸を張れる
 のだと思うが、世に中はキナ臭くなり、御仁のような戦争肯定者が
 こうやってネットなどを闊歩している時代である。

 あなたは、世の中が一番平穏だったのは江戸時代であった事を認識して
 いるだろうか?
 江戸時代は侍文化でなく町人(民衆)文化である。
 手前味噌ながら、民衆(市民)文化がどのような形であれ花開いて、
 受け継がれて「情緒」を残してくれた。
 日本的平和思想を残してくれたのである。
 「富国日本」などと称してキチガイ思想に狂った日本を、現在に繋げて
 くれたのは、間違いなく「世界の大人倫理」を持った米国だった。

 敗戦当時の日本のトップにいた人間は、全部排除されるべき者であり、
 「崇拝」思想の最後の者共である。
 当時の日本は根本的に「リセット」される以外に「人間」に戻る道は
 無かったと考える。

 あなたの言う「背骨の通った主権国」とは、結局一部の人間の利権の先に
 ある、単なる「軍国主義」でしょう?
 歴史の歪みを作りたいのは、あなたでしょう!

 現在の日本の姿が良いか悪いか、それは人によって違うでしょう。
 しかし、大震災の時暴動が起るなど皆無であるこの国が私は好き
 である。
 おかしな暴力的な事件が起り始めていると言うが、世界的に見ても
 この程度で危険を意識する国である。
 お飾りにしか過ぎない兵隊しかイラクに派遣出来ない国である。
 これで良いと私は思う。
 「日本は専守防衛」世界に唯一の誇るべき思想である。

 
                                       2002年05月07日

 「小手先の対応はもはや限界 首相の靖国参拝とその真意」

                                           『週刊ダイヤモンド』 2002年5月11日号
                                       新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 444回
 

   4月21日、小泉首相が靖国神社にお参りした。この日は春の例大祭初日で
 清祓(きよはらい)の日にあたるそうだ。

  「内外に不安や警戒を抱かせない一番いい時期だと思った」と首相は述べた。
  加えて、8月15日も参拝するのかと記者に問われて「しません。一年に一度です」
  と答えている。

  新聞各紙はさまざまな反応を示しているが、私がつい想い出したのは『日本軍の
  小失敗の研究』という三野正洋氏の著書である。
  光人社から7年前に出版されているが、秀れた本であるから記憶されている人も
   多いことだろう。

  同書には、日本軍の犯した多くの失敗事例が具体的に書かれている。
  読めば哀れで、胸に迫る事例ばかりである。
  たとえば1944(昭和19)年3月から始まったインパール作戦。
  インドとビルマの国境の町の名を冠した同作戦の目的は明確でなく、「陸軍の
  存在を誇示するのが最大の目的であったのではなかろうか」と三野氏は書く。

  補給をまったく考えずに展開された作戦のなかで、12万の兵は食糧もないまま
  密林をさまよう結果となる。
  12万の兵の半数近くが死亡その70%が餓死もしくは病死であったという。
  戦死でなく、餓えで多くの軍人が命を落としていかなければならなかった
  状況とは何か。
  しかも、過度に精神性を強調するこの種の作戦を定めた上官に対し、部下は
  意見を述べることもできなかったのが、当時の現実だった。

   補給といえば食糧だけではない。
  武器弾薬も重要である。
  日本陸軍の最重要武器に三八式歩兵銃があった。
  1905(明治38)年に採用されたこの銃で、日本軍は日露戦争以降のすべての
  戦争を戦ったわけだ。
  
  三野氏の書によると、この銃は「口径6・5ミリ、全長1・28メートル、重量4・0キロ」。
  欧米諸国の銃も同じようなものだった。
  が、太平洋戦争当時の日本人男性の平均体重は53キロ、身長158センチ、欧米人
  よりはるかに小柄だ。
  同じ戦場で相手と戦うとき、小柄な日本兵たちにかかる銃の負荷は見過ごせない
  ほど大きかったはずだ。
  ここにも、現実の欠陥を改善するよりは精神の強さを必要以上に強調する考え
  が見える。

   そして驚くことに、三八式歩兵銃の部品は、工場が違えば使えなかったというのだ。
   理由は部品公差が統一されていなかったからだ。
   公差は「機械加工のさい、工作物の許容できる最大寸法と最小寸法の差」である
   と三野氏は解説しているが、公差の統一性がない場合、精密部品の交換は
   不可能なのだ。

   こんな話は陸軍だけではなく、海軍もまた、同じ構造の問題を抱えていた。
   食糧の補給も部品の補給も儘(まま)ならない状況の下で、多くの軍人は戦い、
   そして戦死していった。

    故郷、家族、さらには祖国を守るために、自分の身をもって任務を遂行して果てた
   先人たちのことを思えば、靖国にお参りするのは年に一度でよいというわけでは
   ないと思うのだ。

   首相は中国や韓国などからの反発を念頭において行動したと思われるが、中国は
   阿南惟茂大使を呼び「いかなる形式、いかなる時期でも、指導者の靖国参拝に
   断固反対する」と強い調子の抗議をした。
   韓国も「軍国主義の象徴」を参拝したことに「深い遺憾を表する」としている。
   日程を考え、回数を限ったからといって、かの国々が日本の総理の靖国参拝を
   受け容れることはありえない。
   だからこそ、日本政府は小手先の対応はしてはならないのだ。

   靖国参拝は、それが国と家族のためであると信じて戦死、餓死、病死したすべての
   人びとを慰め敬うためである。
   軍国主義とは無縁である。
   これをしっかりと中国や韓国に伝え続けるとともに、言いたいことも言わずに命を
   落とした人びとに心からの哀惜を表すために、年に一度などと言わず、何度でも
   靖国神社に行ったらよいと思う。

                                    投稿者 ikeda : 16:24 | コメント (0)

 あなたは肝心な事を述べずに遺族会のような、一遍通りのコメントをしている。
 これでは、戦争肯定者と言われても仕方ない。
 中国も韓国も「一級戦犯」を一緒に埋葬してある靖国神社参拝に怒っている
 のであって、戦没者に冥福を祈るのを反対している訳ではない。

 きちんと「一級戦犯」の遺骨を他所に葬れば問題は全て解決するのであるが、
 当時の「一級戦犯」は「お家」の方々であり、遺族会が許さないと言う、実に
 お家の内情をウヤムヤにしたままである「日本」が「悪い」のである。

 ハッキリ言って「一級戦犯」は戦死ではない!戦後死であり、戦没者と一緒
 と言うのはおかしいのである。
 自分の各家の墓に入れば良い話なのである。
 少なくとも「一級戦犯」と指定された者は「死ぬ事を強要した人間」であり、
 基本的に「戦没者」と同じにするべきでは無い。
 例え、人間として思想に染まっていなかったとしても、その任に当たっていた
 事で既に「黒」である。
 武士道に鑑むなら切腹・お家断絶であろう。
 そこまでならないにしても、戦没者と共に埋葬すべき由来は無い。

 私の思想は特攻兵として死を覚悟しながらも、10月には花散る予定が、
 敗戦により命を永らえた親父の血から来ている。
 戦争を知らないが、戦争を肯定も否定もした親から受け継いだ血である。
 まだ軍歌を唄って育った記憶のある私の出した結論である。
 戦史を物語として読んで育った私の出した結論である。
 人肉を喰った戦士の話に涙した私の出した結論である。
 大和の生き残りの物語に涙し、アニメ「決断」が大好きだった少年時代を
 過ごした日本の男児の一人が導き出した答えである!

 中国政府及び韓国政府の怒りは当然である!
 

                                       2001年12月10日

         「 内親王ご誕生で改めて感じた文化歴史を伝える言葉の大切さ 」

                                                  『週刊ダイヤモンド』 2001年12月15日号
                                                       オピニオン縦横無尽 第425回
 

  「ローマの休日」は、なぜあれほど、愛され続けるのか。
  「神がお遣(つか)わしになった最も美しい天使」(エリザベス・テーラー)のような
  ヘプバーンの笑顔のゆえか、魅力的なグレゴリー・ペック演ずる特派員生活への
  憧れのゆえか。

     理由はこの両方に加えて、ヘプバーンの演ずる主役がユア・ロイヤル・ハイネスと
   呼ばれる立場、つまり皇女さまだったからだ。

   皇室や王室は米国民の憧れの存在である。
   時として、米国民の大統領に寄せる支持には、色褪(あ)せた政界図を見慣れた
   日本人にはまぶしいものがある。
   それも、皇室、王室を持たざる人びとの憧れの対象への渇望の表現の一端だと
   思えないこともない。

   その皇室が、日本にはある。
   世界最古の歌集の万葉集も、源氏物語も枕草子も伊勢物語も、皇室なしには
   ありえなかった。
   皇室は、日本の歴史と文化のエッセンスとなってきたのだ。

       その皇室のお祝いごとを、メディアはどう伝えたか。

        宮内庁は「皇太子妃殿下には……宮内庁病院においてご出産、内親王が
    ご誕生になりました。御(おん)母子ともお健やかであります」と発表した。

   内親王という歴史の響きを含んだ言葉でニュースを伝えたのは「内親王さまご誕生」
   の見出しを付けた産経新聞だけだった。
   他の全国紙はすべて「雅子さま女児ご出産」の見出しだった。

   せっかく内親王というゆかしい言葉があるのに、なぜ女児にしてしまうのか。
   機能的表現ではあるが事務的で、文化や伝統の香りもしない表現になぜ
   傾いてしまうのかと疑問 に思うのだ。

   私は永井路子さんの一連の著作がとびきり好きだが、永井さんは多くの皇女
   (ひめみこ)や皇子(みこ)の織りなす人間模様を存分に描いておられる。
   描かれた世界は、緻密な資料調査と研究に支えられて秀れた歴史研究書
   ともなっている。

    永井さんの研究以前には、日本の女帝たちは、幼い皇子が成長して天皇の
   地位に就くまでの“つなぎ”としてとらえられていた。
   永井さんはしかし、そんな生やさしい役割ではなかったという説を丹念に系譜を
   たどることによって証明したのだ。

    たとえば大和朝廷を舞台にして彼女の描いた“持統さま”の物語は、天皇家に
   おける蘇我氏の血筋を護(まも)るための壮絶な戦いだった。
   持統さまは大化改新の年、645年に蘇我氏の倉山田石川麻呂の孫娘として生まれた。
   持統の母の遠智娘(おちのいらつめ)は中大兄皇子(なかのおおえのみこ)と結婚、
   つまり中大兄は持統の父である。

    持統が5歳のとき、祖父の倉山田石川麻呂が謀叛の疑いをかけられて自殺する。
    それを悲しんで母の遠智娘も死んでしまう。
    母はなぜ悲しみのあまり絶望して死んだか。
    永井さんは、その理由を、祖父を無実の罪に陥(おとしい)れた人物は、あろうことか、
    中大兄であったからだということを、系譜のなかから読みとっていくのだ。
    自分の父を無実の罪で死に追いやったのが自分の夫だったという衝撃に耐えきれずに、
    持統の母は悲しみのなかで死んでいった。
    ここから持統のその後の人生と、蘇我氏の血筋を護る戦いが始まっていく。

    持統さまはしかし、何年も何年もの戦いのすえに敗れ、御后(おきさき)の血筋を
    藤原氏に奪われていった。
    永井さんの作品群のあとに改めて万葉を読めばひとつひとつの歌のなかに隠された
    多くのドラマと味わいに否応なく気づかされる。
    歴史の事実は是非の判断の対象ではない。
    歴史と文化の濃密さにかかわることなのだ。

    内親王ご誕生のニュースは、再び女帝論をかきたてることだろう。
   その時、単に機能的に事務的に論ずるのでなく、日本が幾世紀ものあいだ歩んできた
   歴史を学び、文化を楽しむためにも、文化文明を伝える主体としての言葉は大切に
   したいものだと思うのだ。

                                                 投稿者 ikeda : 14:34 | コメント (0)

 成る程、分らないでもないが、ローマの休日のヨミは完全にズレていると思うな。
 あの映画を見て、日本の皇室と結びつけて考える事自体が有り得ない。

 かつて父母が崇拝していた天皇家が象徴となり、それでも母などは象徴以上に
 天皇家を敬っていたと思う。
 特別な存在であり、現在は「平和」の象徴であると私は思っている。
 穏やかな皇室の表情は何よりホッとさせる事柄のひとつであり、美智子様の手を
 振って答える優しい眼差しに、未だに「恋する日本男児」であるのだ私は。

 天皇家がどういった歴史を辿って来たかに、あんまし興味はない。
 おそらく水戸光国が歴史書編纂をしていなかったら、江戸幕府は未だに日本の
 中心にいたかも知れないし今象徴となっているのは徳川家の人々だったかも
 知れない。
 徳川が残っていたら、一気に共産国に走っていたのでは・・とか想像する。
 勝組になったり、負け組になったりして時代は変遷して現在がある。

 子供の頃、悪の象徴のごとく印象つけられた田沼意次が、あの封建社会の中で
 非常に優れた政治家であった事の評価がなされたのはつい最近の事である。
 歴史は史実として謳われているが、脚色がはげて真実が語られるように
 ようやくなってきたのである。

 その内(何時かは分らないが)最も真実に近い部分が語られる時代が来る事だろう。
 
 私は「憲仁親王」から名前を拝借してくれた叔母に「勘弁してよー」と言いたい
 時期もあった。
 しかしながらほぼ50年、この名前でいるが現在は気に入っている。

 人によって皇室への感情は違うのだと思う。
 「君が代」問題もそうだが、歌って育った私は別に軍国思想に走っている訳でも
 ないし、猛反対する(特に共産党員の教師)人々が、反面教師となり戦争を
 肯定する動きではないのかと疑ったりもしている。
 なぜなら、気にもかけない者にも皇室の是非を問うて、騒ぎ立てているだけと
 しか思えないからである。
 
 相撲の唄は国旗掲揚に似合っていると私は思っているし、そんな事が
 当たり前の生活を送ってきた。
 その事が即皇室肯定思想につながる・・とか言うのは、短絡的で当たって
 いるとは思えないのだがね。

 「君が代」以外に「国歌」を今のところ持っていないのだから歌えば良い
 のではないか?
 「君が代」の君を天皇と言った思想はもう崩れて久しい。
 むしろ、名残りとして「いましめ」の歌として教える方が、よっぽどましで
 はないかと思うがなあ。

 「愛子様」を内親王と呼ぶ事が情緒であると言う意見だが、新聞は公正な
 報道が望まれるべきものである。
 その点からすれば「愛子様」と言う呼び方は十分敬っていると私は思う。
 また産経新聞は一般報道に対し「中立」でなくともかまわない新聞である。
 むしろ御大経営者に対しての報道と言う側面があると推定する。

 皇室専用語句が日本の情緒である・・と言う考え方に、今は賛成できない。
 もうひとつ、「女帝」論争と書いてあるが「女系」で良いと私は思う。
 「愛子様」が将来の天皇を継がれる事は喜ばしい事だと私は思っている。
 何の反対も無い。

2001年12月03日

                   「 誇大報告・水増し“南京事件”の証拠の信憑性は非常に乏しい 」

                                                  『週刊ダイヤモンド』 2001年12月8日号
                                                                  オピニオン縦横無尽 第424回
 
  再び南京事件について。

  私が南京での日本軍による民間人虐殺があったと考えていた理由のひとつが、
  紅卍会(こうまんじかい)および崇善堂(すうぜんどう)による遺体埋葬数だった。

  前者は4万3000体を、後者は11万体強を埋葬したと報告、これが、東京裁判で
  南京大虐殺を事実として認める根拠ともなった。

   北村稔氏の『「南京事件」の探究』によると、紅卍会は1922年設立の
   新興宗教団体で日本の大本教とも提携した慈善団体で満鉄特務班への
   紅卍会の報告では、埋葬数は南京城内で1793体、城外で2万9998体だった。

   しかし戦後、城外での数が3万5097人と報告され、5099人分増えていた。
  東京裁判に出廷した紅卍会の許伝音は、「埋葬当時は日本軍の圧迫で
  公表できなかった」と証言したが、北村氏は紅卍会と日本軍は「近しい関係」に
  あったと指摘し、当時の満鉄上海事務所南京特務班報告などには、同会が
  自治委員会や日本側とも協力したと記されていることから
   「日本軍が紅卍会に圧力をかけた事実はない」と判じている。
  つまり、紅卍会の報告は水増しされていたというのだ。

     さらに驚いたのは、崇善堂である。
  崇善堂も慈善団体で1938年1月から3月までに7549体を、4月にはその14倍
  の10万4718体を埋葬したと報告した。

   北村氏は1月から3月までの合計が7千500余体であるのに、4月に10万
   4700余体に急増したのはなぜかと考え、調べた。
  埋葬に従事したのは四部隊で変化はない。
  埋葬場所は「城根」(城壁の際)「付近の荒れ地や菜園」などと記され
  すべて、地名が特定できないことも突きとめた。

   崇善堂の主張は根拠を欠くのではという疑問が出され、中華人民共和国
   政府が対抗して出した資料がある。
   資料は、崇善堂がクルマを一台所有していたこと、そのクルマは1924年製造
   の古いクルマでバッテリー、ピストン肖(銷)子、クラッチが故障していたことを
   記している。

   中国側が、崇善堂は実在し、しかも活動していたと示すために出した資料
   によって、皮肉にも崇善堂の規模の零細さが浮彫りにされたのだ。
   古い故障車一台で、四グループの少人数で38年4月のひと月間で10万を
   超える遺体を埋葬したとの報告の信憑性(しんぴょうせい)はにわかに
   怪しくなった。

   北村氏の著書を読んだのと同じ時期、阿羅健一氏の『聞き書 南京事件』
   (図書出版社)を読んだ。南京攻略当時、南京に行った軍人、報道マンらの
   証言を集めたもので、貴重な第一次資料である。

   そのなかに上海派遣軍参謀として南京入りし、38年2月以降は南京特務
   機関長として南京にとどまった大西一氏の証言がある。
   37年、38年当時の南京事情を最もよく知る人物だ。

  大西氏は阿羅氏の崇善堂についての問いに「当時、全然名前を聞いたことは
  なかったし、知らなかった」と答えている。
  「それが戦後、東京裁判で、すごい活動をしたと言っている。
  当時は全然知らない」と述べている。
  南京事件を知ったのは戦後とも答えている。

   上の著書は87年の出版で取材は10数年前だ。崇善堂を特に意識した
   取材ではない。
   大西氏は単に南京での日本軍の責任者のひとりとして、崇善堂について
   まったく知らないというのだ。

       今年になって学者の北村氏が調査し公表した結果と、10数年前の元軍人
   の証言がぴったり一致したのだ。
   崇善堂の報告は疑わざるをえない。

   大西氏は、朝日新聞の本多勝一記者の事実と異なる中国での日本軍の
   報告に立腹し、本多氏を詰問したという。
   自分こそが真実を書くべきだと考えたが、身内から反対されてやめたそうだ。

   ちなみに阿羅氏の著書は、小学館から『南京事件 日本人48人の証言』
   として12月に再出版の予定である。

                                                 投稿者 ikeda : 14:29 | コメント (0)

 日本で証明しようとやっきになっても無駄である。
 もしやるのなら、中国に残された資料を、根底から覆す以外に方法は無いと
 思われるのだが・・・。

 ベトちゃんドクちゃんで日本中が騙されていた。何故かと言うと一度も現地
 を訪れてもいない博士の論文を、勝手に正しいと判断して、マスコミが
 何の検証をすることも無く、一気に報道したからである。
 ベトナムに散布された「枯葉剤」が、まるでダイオキシンの塊の如く報道され
 それが不純物として僅かに混入しているだけ、と言う真実を誰も検証しなかった
 からである。

 実際に調査団がベトナムに入り、「枯葉剤」が特殊なダイオキシン爆弾で
 あったかどうかの調査を行った。
 しかし、幾ら検証しようとしても事実無根であると結論を出す以外になかった。
 
 更に問題は、分ってしまった今でもマスコミは大々的に誤報であったと
 語っていないことである。

 南京大虐殺があったものか、無かったものか、もう百年待たなくてはいけない
 かも知れない。
 中国が「世界の大人の倫理」を受け入れたとして100年だが・・・。
 
 現状証明できないのであるから、少なくとも最低数である31791名の
 虐殺はあったのだと納得するしかあるまいと思う。

 「丸太」と呼んで、畜生扱いした事は純然たる事実であり、これらは
 日本人の口から伝わったものと心得ている。
 それは、僅か3週間の事ではなく常日頃行われていたと聞く。
 すれば、当時の日本軍のキチガイ集団がナチの真似ごとをしたとしても
 何の不思議も無く、むしろ「何も無かった」と言う方が違和感を感じて
 しまう。

 未だに日本の宗教団体の会員数は日本の人口の10倍を越えるし、
 北海道の各社の新聞発行部数は現実の数倍である。
 デモをすれば、警察発表が1000でも主催者側は10000人と
 言うのである。
 日本を「敵国」として「屁」も憎いと言う愛国教育をするに当たって
 国家事業として共産圏が考えれば、すりゃあ1000が10万に変わっても
 不思議でもなんでもない。

 まして、中国は政府を批判すれば銃殺の国である。
 真実を語れる者など、何処にもいない。

 南京大虐殺の真実を日本人が中国で探ろうものなら、間違いなく
 生きて日本に帰って来る事は不可能であろう。
 未だに中国自体、何も変わっていないのだから、現状何を証明しよう
 としたって無駄である。

 よって、大虐殺は無かった、などと「大ボラ」は吹かないことだ。
 

                                            2001年12月02日

                              「 『南京虐殺』の虚構 」

                                                             『諸君!』 2002年1月号
                                                      発掘!! 「新史料」が証(あ)かす
 

  「虐殺」を世界で初めて報じた英字紙記者ティンパーリーは、国民党の宣伝工作員だった!

                                                   北村稔氏(立命館大学教授)
                                                    櫻井よしこ(ジャーナリスト)
 

                                                   ティンパーリーの正体を突止める

 櫻井: 北村さんの『「南京事件」の探究』を拝見しましたが、これは一言で言うと、
     いわゆる「大虐殺」が「あった」とする論拠をことごとく洗い直して再検証
     されたわけですね。
       当然のことですが、従来とは全く違っていて目から鱗が落ちる思いでした。
     数々の新発見があり、「南京大虐殺の虚構」を証明する「決定版」といえると
     感じました。

      ちょうど1年前に本誌(2001年2月号)が南京事件の特集を組んだ時、
      アンケートに応えたことがあります。南京で日本軍が虐殺(不法殺害)した
      中国人の数は何人ぐらいかという問いには、「1万人前後」ではないかとか
      指摘しました。
      でも、この本を1年前に読んでいたら、日本軍が虐殺したとされる中国人は
       もっと少なかったと判断したと思います。

 北村: 櫻井さんはジャーナリストですから、南京事件を世界で最初に知らしめた
     英国紙「マンチェスター・ガーディアン」の中国特派員であったティンパーリー
     にはとりわけ関心を持たれたんじゃないですか。
     本書の中でも、重要なキーパーソンとして登場してきます。

 櫻井: 彼は、『WHAT WAR MEANS : The Japanese Terror in China』(邦訳『外国人
          の見た日本軍の暴行――実録・南京大虐殺』評伝社)
     を、南京陥落の翌年の1938年(昭和13年)の7月に刊行しています。
      ところが、中立的立場の欧米人ジャーナリストを装いながら、実は国民党中央
     宣伝部顧問でもあった。
     そしてその出版にあたって、国民党からの偽情報の提供や資金援助が行われて
     いた事実を初めて北村さんがつきとめています。
     これは、ゾルゲがドイツ人ジャーナリストとして尾崎秀実などに食い込みながら、
     実はソ連のスパイであったのと同じ立場だったともいえます。

     ティンパーリーも表向きは英字紙のジャーナリストとして、松本重治氏
     (同盟通信社上海支社長)とも親交関係を培っていたわけですが、そうした
     政治的背景を持っている人が書いた『外国人の見た日本軍の暴行』という本が
     果して歴史的価値のある内容であったかどうかは、仰るとおり十分な検証が
     必要だと思います。

 北村: 虐殺派の洞富雄氏が編纂している『日中戦争―南京大残虐事件資料集』第2巻……
     英文資料編(青木書店)の「資料解題」では、ティンパーリーの本については、
     「日本軍が南京を占領したさいに犯した残虐行為にかんする記録をいちはやく
     まとめて、世界の世論に訴えたものである。おそらく当時、欧米の知識人社会を
     震撼させた書物であった」と肯定的に記されています。

      しかし、彼の本の原著が、英国の左翼出版社として、すでに定評のあるゴランツ
     書店から出されていた「レフトブッククラブ」(左翼書籍倶楽部)のシリーズの一冊
     として刊行されていた事実には何故か触れていない。

      もちろん、彼が国民党の宣伝工作に関与したというデータも紹介されていません。
      しかも、その英語版が出版されるや時を同じくして中国語版も刊行されています。

      南京陥落後一年足らずで英国と中国とで同時刊行されたという、あまりの手回し
      の良さは、背後に国民党国際宣伝処と国民政府軍事委員会政治部との連携が
      あったためです。

  櫻井: そのティンパーリーにしても、まだ冷静な筆致もあったというのに、日本語訳では
      「超訳」というのか、意図的ともいえる誤訳があるとも指摘されていますね。

 北村: 洞さんたち虐殺派の編訳した資料編に収録されているティンパーリーの本の
      翻訳では、「処刑」とあるのを「虐殺」と訳しています。
      他にも“observe”を全て「目撃」と訳していますが、これもおかしい。
      “observe”は本来、「観察」とでも訳すべきです。
      そうでないと、収録されている欧米人の証言は、すべて「自分の目で見た
      『目撃証言』」と誤解されかねません。

       例えば、南京陥落後の現地状況を客観的に報告したとされる「南京安全区档案」
       は、匿名の中国人協力者の書面報告を英文に翻訳したものが相当数を
       占めています。
       それらをすべて「目撃されたもの」とするのは行き過ぎです。
       ティンパーリーも自ら目撃したという言葉には、“observe”ではなく“witness”
       を使用しています。

       蒋介石に委任されて日中戦争開始前から上海で外信の検閲に従事していた
       曾虚白という人物がいますが、彼の自伝『曾虚白自伝』の中にも、具体的な形で
       ティンパーリーの名前が出てきます。

         「ティンパーリーは都合のよいことに、我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた
       時に上海の『抗戦委員会』に参加していた3人の重要人物のうちの1人であった」

        「そういうわけで彼が(南京から)上海に到着すると、我々は直ちに彼と連絡を
        とった。
        そして彼に香港から飛行機で漢口に来てもらい、直接に会って全てを相談した。
        我々は秘密裏に長時間の協議を行い、国際宣伝処の初期の海外宣伝網計画を
        決定した。
        我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔をだすべきではなく、
        我々の抗戦の真相と政策を理解する国際友人を捜して我々の代弁者に
        なってもらわねばならないと決定した。
        ティンパーリーは理想的人選であった。
        かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由
        でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として2冊の本を
        書いてもらい、印刷して発行することを決定した」

                  「このあとティンパーリーはそのとおりにやり……2つの書物は売れ行きのよい
         書物となり宣伝の目的を達した」

 櫻井: 日本を徹底的に悪者に仕立てあげていくストーリーがこうしてつくられていった。
     驚くべき事実が上の記述から明らかになったと言えます。

 北村: つまり、ティンパーリーの本だけではなくて、南京虐殺に関して第三者による重要
     な史料と思われていた金陵大学教授のルイス・スマイス博士の『スマイス報告
     (南京地区における戦争被害)』もまた、必ずしも中立的な立場からの著作ではなくて、
     国民党の戦時外交の宣伝戦略のために資金的援助を受けて執筆されていたという
     ことです。

 櫻井: ティンパーリーが左翼的なジャーナリストであり、国民党の宣伝部顧問であった
     事実は、鈴木明氏の『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社)などでも指摘は
      されていましたが、著作の背景に国民党からの具体的な金銭援助まであった
      事実を明らかにしたのは北村さんのスクープと言っていい。
      それにしても、そういう一貫した中国側の宣伝工作は驚愕すべきものです。

 北村: 中国というか漢民族は政治闘争に際しての宣伝工作の才能に長けています。
     辛亥革命の時にも、清朝の中国侵入時に発生した住民殺害事件を誇大に
      宣伝し、反満州人感情を煽っています。
      歴史的に異民族との闘争を何度も経験し、また国内でも同様な闘争を繰り
      返していますから、こうした煽動工作はお手の物なんです。

                                                     誤報が歴史事実に転化

 櫻井: ティンパーリー同様に、「レフトブッククラブ」から『ウィガン波止場への道』を
     出したこともあるジョージ・オーウェルは

     「重要なのは偽造が行われるということではなくて、その事実を知っても左翼
      の知識人は一般になんらの反応も示さないという点である……大目に
      見のがした嘘が新聞から歴史書へ流れ込むという予想に心を痛める人間は
      ほとんどいない」
      
      と「ペンの自己規制」というエッセイで、左翼流の資料操作の欺瞞ぶりを告発
      したことがあります。

      ティンパーリーの背景を知っていてもそれを見のがしてきた洞さん以下の
      日本の研究者の姿勢には心底、疑問と憤りを感じます。
      ちなみに、オーウェルはその後、ゴランツや「レフトブッククラブ」の容共的、
      親ソ的な姿勢を嫌い離れていきました。

      ところで、1982年の「某教科書の記述で中国への侵略が進出に変えられている」
      との誤報によって、中国や韓国からの無用の反発を招き、教科書検定に
      「近隣諸国条項」が作られることになってしまいました。
      そのために、もっともらしい出典を明記すれば、南京虐殺の犠牲者の数も
      フリーパスとなり「中国側は30万人としている」といった記述が教科書に
      堂々と掲載されるようになり、それが今日の南京虐殺論争の火付け役
      にもなっています。
      
      「大目に見のがした嘘が新聞から歴史書へ流れ込む」とオーウェルは告発
      しましたが、日本では教科書にまで流れ込んでいます。
      あってはならない事態が起き、確実に大きな影響を及ぼしています。

 北村: 元来、中国側は南京事件について、国民党時代の話なので積極的に
      とりあげていたとは言いがたい。
      抗日戦争は共産党だけがやったというのがそれまでの「正史」
      だったからです。
      南京での中国人被害に話が及べば、国民党がそれなりに奮戦したと
      誤解されかねないという思いがあったのでしょう。
      櫻井さんがおっしゃるように、誤報事件以降は日本叩きのカードとして
      「使える」と考えるようになったのかもしれません。

              意図的な情報操作以外にも、誤報が歴史事実に転化する実例があります。

       例えば、ティンパーリー同様、国民党の国際宣伝処に勤務していた
       セオドア・ホワイトというアメリカのジャーナリストが『歴史の探求』
       (サイマル出版会)という自叙伝で回想している例です。
       彼は、宣伝目的で作られた写真や誤記された数字が一人歩きして
       「事実」として定着してしまったことを紹介しています。

      先ず、当時の重慶に逃避していた国民党政府は「アメリカの言論界に
      対し嘘をつくこと、騙すこと、中国と合衆国は共に日本に対抗していくの
      だとアメリカに納得させるためなら、どんなことをしてもいい。
      それは必要なことだと考えられていた」と堂々と述べていたというのです。

       そして、その実例として、ホワイト自身が元の中国語の記事を少し脚色し、
       蔡黄華という架空の女性が日本軍兵士数人を殺して逃走し、
       反日ゲリラの首領となったという記事を作りあげた。

       すると、ほとんどの米人記者がこの記事にとびつき、この女性の写真を
       要求してくるので、国民党宣伝部が腰に二挺拳銃を下げた中国人女性
       の写真を用意したりしたという。

       その後、彼女は蒋介石夫人(宋美齢)に次ぐヒロインとしてアメリカで
       著名になっていったといいます。
       もちろん虚構のヒロインですが……。

       他にも、難民の苦悩を強調するために、国際救済委員会が14ヵ月の間に
       難民に2500万食を配った事実を報道する時に、たまたま間違えて難民の
       数が2500万人にのぼると書いてしまった。

       そのために、その数字は新聞や雑誌に掲載され、学術的数値ともなって
       しまい、すでに歴史の一部となったと回顧しています。
       彼は一貫して中国贔屓で日本嫌いだったようで、1980年代になって
       「日本からの危険」という論文を発表して話題を呼びましたが、
       過去に中国との深いつながりを持つジャーナリストでもあったわけです。

 櫻井: 慰安婦問題でも国の命令で自分が強制連行したと語る一日本人の「創作」
     を鵜呑みにした報道があって、それが「事実」として定着してしまった例
     があります。
     日本政府も強制連行に直接関与した事実の有無については
      「これからの調査を待たなければ分からない」としつつも、
      「従軍慰安婦の募集や慰安所の経営等に旧日本軍が 関与していたことは
      否定できない」と述べ、このことと強制連行が同義語であるかのように
      コメントしてしまいました。
      そのために、真相が歪められて伝えられるようになったのです
                                                              。

北村: 慰安婦報道の虚実に関しては、櫻井さんの書かれた「密約外交の代償――
     慰安婦問題はなぜこじれたか」(「文藝春秋」97年4月号)を拝見しましたが、
     政府はその場凌ぎの対応でしたね。

 櫻井: 中国との戦争は、時局、時局で、単なる現状追認のままなし崩しに拡大して
     いきましたが、永田町の論理も政局が大事で、その場凌ぎです。
     慰安婦問題でも、“強制連行があった事実を何とか日本が認めれば、
     韓国側も好意的に対応してくれて後はおさまるだろう”という希望的観測で、
     政府は“政治的妥協”で半ば容認してしまいました。

           それが将来どんなマイナスとなってはね返ってくるかを考える能力に
     欠けているのです。

            つまり、国家としての戦略的思考がまったくない。
      その点、中国は今も昔もそうした戦略に長けていたわけです。

 北村: 国民党の戦時対外宣伝の基本方針は、日本軍の残虐性をことさら喧伝し
     アメリカの干渉を誘発しようとするものでした。
     個々の戦闘では日本には勝てないけれども、首都を重慶に移動して
     一歩一歩と後退し、やがておこるであろう国際情勢の変化を待つという
     持久戦の計画を蒋介石は明確に持っていた。

     そしてその成果は真珠湾攻撃となってあらわれます。
     蒋介石は、これにより勝利を確信しました。

      国民党にはアメリカ留学派の幹部が多く人的な結びつきが米中間ではあった。
      セオドア・ホワイトもハーバード大学を卒業してから中国研究のために中国に
      やってきて、いつの間にか国民党のスポークスマンのような存在になったのです。

 櫻井: その先兵でもあったティンパーリーにしても、巧妙というのか狡賢いというのか、
     先の本の序文でも、見聞した日本軍の暴行記事をガーディアン紙に
     打電しようとしたら、上海の日本側電報検閲員に「内容が誇張に過ぎる」
      として発電を差し止められたので、本を書くことによって世界に公表
      しようとしたと記しています。

      しかし、根拠のない30万という死傷者の数を明記した記事を打電しようとしたら、
      非常識だとして日本側が差し止めたのは当然の措置ともいえます。
      むしろ、「差し止め」させる状況を意図的につくり、そのうえで
      「差し止め」の事実を誇大に宣伝することで、自分の捏造記事に逆の
       信憑性を持たせることに成功したのです。
       そして日本側の弾圧をく ぐりぬけ、良心的ジャーナリストとして真相を
       発表し、告発しようとして本を書いたと自画自賛したわけです。
       そういった国民党とティンパーリーの手法は、ある意味では敵ながら
                舌をまくしかありません。

      どの国もそうした国家としての戦略性を持ち、宣伝活動に真剣に
      取り組んでいたのですから。

       ロバート・スティネット氏が『真珠湾の真実』(文藝春秋)で明らかにした
       マッカラムの戦争挑発計画にしても、アメリカ側が緻密な戦略的思考
       に基づいて日本に開戦への道を選択することを余儀なくさせていった
       事実を証明しています。

       日本側の情報戦略の欠如は反省すべき点ですが、過去の失敗から
       学ばないまま、今も同じ失敗を繰り返しているのは残念です。

                                                      巧妙なトリックの数々

 北村: 現実に、英米軍とタリバンとのアフガニスタンでの戦争にしても、民間施設
      への誤爆があった、なかったといった真偽定かならざる情報が交錯しています。
      戦争報道に関しては、何が真実で何が宣伝なのかということを見極めるには、
      慎重で客観的な調査が必要です。

       ただ、「火のない所に煙は立たない」とも言います。
       そうした「針小棒大」とはいえ、日本軍の残虐さを伝える虚報が受け入れられた
       背景は何なのかという自省も日本側には必要です。

      闇雲に単なる民間人を虐殺したということはなかったのでしょうが、便衣兵など
      逃亡兵や捕虜扱いにすべき兵士をどう扱っていいのか、混乱の果てに
      処刑してしまったという事実は否定出来ません。

 櫻井: 日本の場合、当時も今も長期的な戦略思考や対外宣伝力が欠如して
     いるわけですが、偕行社の『南京戦史』を見ても、捕虜をどうするか
     という方針すら満足に確立していないまま戦争をしていたことがよくわかります。
     ある参謀長は積極的に捕虜を取るべしと言い、別の師団長は捕虜を取るな
     と言い、適宜処置せよと言ったりもする。
      兵站も間に合わないほど予定より早く南京が陥落したために、日本軍は
      自分たちの食料も満足に確保できないまま大量の捕虜を抱えてしまった。
      そのために、運のいい中国人兵士は捕虜収容所に入れられたりも
      しましたが、処刑された兵士もかなりいました。

      しかし、それでさえ、東京裁判の判決のように「日本軍が占領してから
      最初の6週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、
      20万以上であった」とか、中国の言う「日本侵略軍は南京を占領してから、
      公然と南京人民に対して6週間にわたる血腥い大虐殺を行った。
      ……日本軍の南京での大虐殺中に、殺害された中国人民は合わせて
      30万以上に達した」(『小学課本・歴史』)という、いわゆる“massacre”的な
      虐殺とは全く違います。

      つまり、ドイツのユダヤ人虐殺と南京事件とは全く次元が異なるわけです。
      この事実はきちんと何度でも日本は主張する必要があります。

北村: ティンパーリーの本でさえ、そんな形での組織的な虐殺があったとは
     実は書いていません。
     そもそも、“massacre”という言葉をティンパーリーは使っていません。
     この本の中で紹介されている欧米人の報告にしても、略奪や強姦は
     偶発的なものであったとみなしています。

     つまり、当時にあっては、国民党にしても、その依頼を受けたティンパーリー
        でさえ、日本軍が組織的な大虐殺をしていると伝えたのではなく、
     軍律厳しいはずの日本軍が南京で無秩序な行動をしていると
     批判しているだけなのです。

      また、これも誤訳、虚報と関連しますが、ティンパーリーの本には、
      根拠なしのまま、「中国中央部の戦闘だけで中国軍の死傷者は
      少なくとも30万人を数え、ほぼ同数の民間人の死傷者が発生した」
      と出てきます。

      この元となった電文は日本側の検閲で差し止められたわけですが、
      その電文がロイター通信などを経て回り回って、中国の新聞
      「漢口大公報」に転載される段階になると、「英国記者ティンパーリー氏
       の報告によれば、敵軍が南京上海戦で殺戮した平民は少なくとも
       30万人に達した」
      となるんです。
      つまり、「中国中央部」という広い地域が「南京上海」に限定され、
      「死傷者」が「殺戮」になっていく。

 櫻井: ティンパーリーの数字にしても、当時の蒋介石・国民党の一方的な
     主張を書いただけのようですが、恐るべき相乗効果です。
     巧妙なトリックというしかありません。
     でも、その記事が『英文中国年鑑』(1939年版)という歴史書に収録
      されて、「定説」化していくわけですね。

 北村: そうです。彼の本の悪影響はまだあります。
     東京裁判に先だつ中国での裁判では、ティンパーリーの本の中で
     「殺人競争」として報じられた、向井、野田少尉のいわゆる百人斬り
     の記事(東京日日新聞の記事を、東京の英字紙である
                        ジャパン・アドバタイザーが転載)
     が戦争犯罪の証拠とされます。
     向井、野田の二人はこの記事が証拠となってC級戦犯として死刑
     になります。

      しかし、この記事にしても、鈴木明氏が『「南京大虐殺」のまぼろし』
      (文春文庫)で指摘していたように日本の報道はいささか大袈裟な
      ものであったが、あくまでも戦闘中に中国軍兵士をどれだけ
      殺したかという武勇伝だったわけです。

      ところが、ジャパン・アドバタイザーでは、そうしたニュアンスが
      減殺されてしまい、あたかも戦闘以外で民間の中国人を殺害して
      いったという記事になってしまった。
      さらにティンパーリーが、この記事に「殺人競争」(Murder Race)
      というタイトルを付けて自分の本に収録したのです。
 

                                    情報戦略にナイーブな日本人

 櫻井: 先程も指摘したように、情報が持つ力の怖さを日本人は十分に
     認識してこなかった歴史があります。
     日露戦争にしても、アメリカ側の仲介があって半ば勝利を収め
      たものの、ポーツマス交渉の段階で、ロシア側の巧みな情報操作
     によって、いつの間にか日本側は賠償金を欲しがる強欲な国家と
     見做されるようになってしまいました。
     交渉の内容をリークしないという約束をロシア側は破るし、
     ロシア側に都合よく脚色された情報を与えつつ、欧米の記者を
     キャビアやお酒で接待漬けにして懐柔していく。

     日本側は、日露双方が合意に達するまでは交渉の中味は記者には
     もらさないとの約束を律義に守り続け、なんの情報発信もしませんでした。
     そのために、それまで応援して くれていたアメリカ世論もロシア贔屓
     になっていったのです。

     武力戦争には辛うじて勝ちましたが、その後の情報戦で日本は
     完全に敗北しているのです。

      東京裁判にしても、中国での戦争裁判にしても、日本人は裁判で
      提出される検事側の資料というのは、根拠のある信憑性の高い
      ものばかりというイメージを持っています。

      ところが、仰るとおり、誤訳・改竄された資料も多々あったわけです。
      どうも、そのあたりの感覚が日本人はナイーブすぎる。
      もっとも、日本人は「あなたはナイーブですね」と言われると、褒めら
      れたと思って喜ぶ人がいますけど(笑)。

 北村: 要するに「バカ」という意味ですけどね(笑)。

  櫻井: 世間知らずというか、物事を知らない御しやすい民族だと思われて
      しまっているのでしょう。

 北村: 私は戦後生まれで世代的には全共闘世代ですから、戦前の日本は
     酷いことをしたという意識を持って育ちました。
     中国や韓国には申し訳ないことをしたのであって、下手に釈明することも
     不可能であるという罪悪感を持っています。

     それを払拭するためにはどうすればいいのか。
     中国は近隣諸国なのですから、仲良く付き合っていく必要があるのは
     言うまでもありません。
     この本も、別に中国と喧嘩したくて書いたわけじゃありません。

      あくまでも、感情論で日本人は大虐殺をしたと対日批判をしても、
     日本の若い世代も徐々に反発を覚えるようになりますよ、
     そうならないためには、中国が日頃主張するように「実事求是」
      (事実に基づいて真理を検証する)の立場から、この「南京事件」を
     探究していくべきだと考えたわけです。
      もう少し落ちついて話をしましょう、と言いたいだけです。

      東京裁判にしても、普通の裁判なら「疑わしきは罰せず」でしょう。
      南京事件に関しての検事側の証拠は今まで見たようにかなり
      矛盾の多いものばかりですから、本来なら裁判を整合的に構成
      するのが困難だったはずです。

      反証も幾らでもあった。
      日本軍は、南京占領後に自治委員会を作って、占領を止め、
      戦況が落ち着くにつれて食糧の配給も始めていった。

 櫻井: 日本軍は南京占領後、間もなく住民登録も行なって秩序回復に
     努めています。
     そういう所で、民間人を対象にして何週間もの虐殺が続くとは到底
     考えられません。
     国民党の資金援助で作成されたティンパーリーやスマイスの報告でも、
     そうした「虐殺」があったとまでは書かれていない以上、これからの
     議論は仰るとおり「実事求是」が大事ですね。

 北村: 例えば、中国における南京事件の裁判で決定的証拠として採用
     されたものに、『陥都血涙録』という資料があります。
     これは国民党の士官であった郭岐の回想録です。
     彼は南京陥落後3ヵ月市内に留まり虐殺を目撃したというのです。

      ところが、日本兵が僧侶の性器を切り落としたといった類の俄
     には信じ難い話が多い。
     宦官の伝統がある中国人ならば、残虐な行為の象徴としてそういう
     エピソードが出てくるでしょうが、日本人がそういうことをするものなのか。
     また、そういう行為を日本兵がしたとされる時に、何故か流暢な
     中国語で会話をしています。
     不思議です(笑)。

      他にも南京の外港である下関の放火なども日本軍によるものだと
      決めつけていますが、これは明らかに中国軍が南京撤退に際して
      火を付けたものです。

     また、本書の中では、そうした虐殺が行われていたという南京にいた
     はずの彼が、のんびりと碁を打ったりして平々凡々と過ごしている
     といった矛盾するような記述も出てくる。
     安全区にいたのかもしれませんが、周辺で3ヵ月間も虐殺が行われて
     いる時に、そういう生活ができるものか疑問というしかない。

 櫻井: 当初、「飢えと寒さに迫られて」死にそうになっている部下の兵士がいる
     と書いている所を、後年の版では「日本軍の絶え間なく続く、
     血なまぐさい風と血の雨の降る大虐殺の中を、彼らは生命の危険を
     冒して」死にそうになっていると脚色しているわけですね。

  北村: その反面、新しい住居で古書を買い込み、日がな一日読書に耽って
      いるといった平和そのものの記述は、改訂版では削除されて
      いるんです(笑)。

                                                   ナショナリズムと「感情の記憶」

 櫻井: 実は、私は在日韓国人の金両基さんと、慰安婦問題などで論争をしたこと
     があります(『日韓歴史論争海峡は越えられるか』中央公論新社)。

     議論はいささか平行線を辿りましたが、それなりに冷静な議論を
     展開できたと自負しています。

      勿論、日韓にしても、日中にしても、戦争のことが話題になると日本は
      「加害者」の立場になります。
      しかし、やっていないことをやったと非難され続け、冷静で合理的な反論
              や討論もしないとしたら、おかしいと思います。

     92年の1月に官房長官として慰安婦問題で日本側の関与を認める発言を
     した加藤紘一氏に慰安婦の強制連行について取材をした時、
     彼は
     「物の見方だと思います。南京大虐殺も(犠牲者は)30万人という人と
      3000人という人と。
      僕はこう思う。3000人でも一般市民を虐殺したら、された方は虐殺と思う。
      (慰安婦問題も)それに近いんじゃないか。
      だからそこをあんまりとやかく、細かく論じたくありませんね」
     (前出「密約外交の代償」)と語っていました。

      しかし、政治家も学者もジャーナリストも、これからは、そういう曖昧な態度
     は許されないのではないでしょうか。
     やはり細かく論じることも必要だということを北村さんの本を読んで痛感しました。
     いままでその点を日本人研究者は怠っていたと言えます。

     ところで、今までの南京論争を振りかえると、少なくとも日本側では無辜の
     市民を30万以上、ナチスのユダヤ殺害のように組織的に殺戮したと主張
     する人はいなくなりました。
 
     次の問題としては、捕虜の処刑をどう見るか。
     便衣兵のような存在は裁判なしで処刑しても国際法上許されるのか否か
     といった議論です。
     この点はこれからも専門家を中心に議論が続くことと思います。

     そして、戦場の混乱故に起こった小規模とはいえ、民間人への強姦といった
     犯罪をどのように見ていくかです。
     平和時の沖縄でさえ、米兵による強姦事件などが起きますが、
      南京においてそういうことがあったことを否定する人はいないでしょう。
      その分野での日本の責任はもちろんあるわけです。
     でも、そうした「一般的な戦争犯罪」の検証をしようとすると、
     「いや、南京虐殺はやはりあったのだ。人数が30万でも3000人でも関係がない」
     と議論を蒸し返す人が出てきますね。
     そのために議論が建設的な方向に進まない。

 北村: 最近では、被害者の側には「感情の記憶」があるという議論も出てくるように
     なりました。
     こうなると、幾ら誤った事実を是正しようにも、それを言われると我々日本人
            は反論がしにくくなる。

     確かに、30万人といった膨大な死者が日本軍占領下の南京に出現しなかった
     のはまず間違いない事実ですが、満州事変以降の日中戦争により、
     中国領土内に於ける戦闘によって、多くの中国人が人的にも物的にも被害を
     被ったという「感情の記憶」から日本への恨みを持つのは当然のことでしょう。
     日本人はそれを十分に理解しておく必要があります。
     あくまでも、その上での「実事求是」です。

 櫻井: 当時の国際情勢からすると、単純に日本が100パーセント「加害者」の側
     であったとも言い切れない面もあります。
     世界中の国が帝国主義的に、弱い国があればそこに進出してその領土を
     奪おうとしていたし、それが正当とも思われていた時代でした。

     もちろん、今にして思えば、そうした手法は実に尊大で野蛮であったわけで、
     その点は十分に詫びるべきだと思います。
     ただ、当時はそういう時代であったという事実は、これまたきちんと提示して
     おく必要もあります。

 北村: 他にも、中国にせよ、韓国にせよ、元来は文化的には自分たちの方が日本
     より上位にあったのに、あんな目に遭ったという負い目というか悔しさがあって、
     感情的に反発したくなるという要素もあるでしょう。

     あるいは、時の権力者たちが、日本への批判を高めることが自分たちの
     政治上のメリットにもなるからという背景もあるのは否定できない事実でしょう。
     ですから、感情を排して冷静に議論をするというのはなかなか難しい。

     私の経験でも、4年前に台湾の政治大学で南京事件60周年のシンポジウム
     があって出掛けたことがあったんですが、外省人(大陸出身)が物凄くこの件で
     エキセントリックな発言をするものだから、日本側出席者もかなり猛烈に反発
     するシーンがありました。

     もっとも、その日本人研究者はどちらかというと左翼的な人だったので
     意外でしたけど、ナショナリズムが爆発する時には右も左も関係ないんです(笑)。

            ただ、台湾人は南京事件にはあまり関心を持ってはいませんね。
      変な反日意識もない。「感情の記憶」がないからでしょう。

 櫻井: その意味で、確かに日本の側も「日韓併合条約には韓国側の責任もある」
      など「被害者側」の感情を逆撫でするような表現は戒めるべきです。
     あくまでも、不当に貶められている日本の状況を的確な位置に戻す
     作業を冷静に主張していくことが必要です。

      北村さんの本では、他にもさまざまな南京事件に於ける「通説」や「史料」への
      批判が登場します。
      「30万人説」の根拠の一つとされる埋葬記録についても、「紅卍会」の
      埋葬(4万3000余)についてはまだしも、「崇善堂」が占領からわずか4ヵ月で
      11万余りの遺体を埋葬したという記録は事実なのかについても興味深い
      事実が指摘されています。
      何しろ、この団体には自動車が一台しかなくて、しかもピストンが
      潰れているような年代物(1924年製造)だったということですね。

 北村: 埋葬表によると、保有車一台だけの崇善堂は1938年の2月5日から3月6日まで
     の1ヵ月で2500体余りを埋葬しています。これだけでも過大というしかないのですが、
      その2ヵ月後の4月には何と城外区で10万体を処理したというのです。

      当時、補助金を申請する時に、そうした過大な数字をアピールすることも
      していない。
      この「資料」は南京虐殺を肯定するために中国側から提示されたものですが、
      ヤブヘビだと思います。

 櫻井: 実はつい最近、この崇善堂について非常に興味深い資料を読みました。
     阿羅健一氏のまとめた『聞き書 南京事件』(87年、図書出版社)です。
     この本はまもなく『南京事件 日本人48人の証言』として小学館文庫から
     出版されますが、この中に当時、上海派遣軍司令部の大西一参謀の証言が
     おさめられています。

     彼は1937年12月13日に南京に入りました。
     38年2月以降も、特務機関長として1年間、南京に残りました。
     いわば南京事件を最もよく知る立場の人です。
     この大西氏が紅卍会の活動についてはよく知っているのですが、崇善堂
     については「全然名前を聞いたことはなかったし、知らなかった」
     「それが戦後、東京裁判で、すごい活動をしたといっている。
     当時は全然知らない」と語っています。

     同時期に読んだこの証言集の中の大西発言、現場にいた軍人の証言と、
     北村さんが学者として研究し調べた結論が巧まずして一致しているのです。
     崇善堂の主張は極めて信憑性に欠けると言わざるを得ません。

      他にも30万人虐殺を「実証」するために、中国側は陥落前の南京の人口を
      50万人であったと主張するような資料(『南京大屠殺档案』)を近年出して
      いるようですが、その虚構も北村さんが本の中で明らかにしています。
 

                                                 中国人から「愛国虚言」がなくなる日

北村: 中国側の研究者たちは、歴史叙述を国家の「政治目的」に合わせるために、
     さまざまな資料・史料の全体の意味を無視して都合のいい所だけ
     ピックアップすることをやるんです。
     これは研究者の問題ではなく国家体制の問題ですが。

     例えば、あの『スマイス報告』にしても、陥落前の11月初めには50万人ぐらい
     いた人口が「南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したために
     かなり減少」して、12月末には当時の南京の人口は25万人となっている
     と指摘している。
     それなのに、『南京大屠殺档案』は、その『スマイス報告』を引用しながら、
     そういう箇所は省いて、11月初めには南京の人口は50万いたから、
     それから30万人が殺戮されて20万人台になってしまったとトリックを使って
     主張したりするわけです。

     日本側の研究者にしても、20年ぐらい前までは中国研究をする場合、
     香港や台湾の資料を使うのは好ましくないとされていました。
     しかし、この状況は変化しました。

     それは近年台湾の地位が向上し民主化も実現しましたし、一方、
     中国の方は天安門事件を引き起し、共産主義への幻想もソ連崩壊後は
     低下してきた。
     さらに決定的だったのは、中国共産党が第三次国共合作を想定して、
     蒋介石もナショナリストであったと再評価するようになりました。
     またソ連のマルクス主義者も、30年代の国民党の政治を国家資本主義で
     あったと肯定的評価を与えたからです。

 櫻井: そうなると、日本の中国研究者の多くは、「左へならえ」とばかりに台湾に
     出掛けては、資料の発掘に励むようにもなるわけですね(笑)。

     その変化自体は結構なことですが、本家の中国とロシアが変化したから、
     その動きにあわせてというのでは主体性がない情けない話です。

 北村: 仰るとおり、自主的な変化ではない。
     南京事件にしても何にしても、中国共産党の歴史観をベースにして
     自分たちの歴史観を構築していると見られても仕方がない側面は日本側の
     研究者の一部にあると思います。

 櫻井: 要するに、日本の外務省のチャイナスクールの人たちと同じ精神構造
     なんですね。
     中国の言うことには、何でも頭を下げて耳を傾けるばかりと(笑)。

 北村: もちろん、そうでない人もいますよ。
     ただ、「実事求是」のためには、中国側が南京事件にしても、資料を
     きちんと公開する必要があります。
     当時の南京の自治委員会による記録などもあるはずですが、未だに
     それは公開されていない。

櫻井: 公開できない理由があるのでしょうね。

 北村: 中国はそのあたりは露骨で、今まで公開していたような資料でも、
     何か拙いことが出てくると非公開にしてしまう。
     少なくとも研究者の知的興味を満足させるために資料を公開する
     ということはありえない。

      ただ、最近では、中国側にも研究者の中に、インターネット上や
      1対1の私的な会話でなら、「感情的な大虐殺云々が事実ではないし、
      またそれを言い募ることは日中友好のマイナスになる」と自覚している
      人も出てきています。

     でも、そうした人でも公的な世界になると、従来からのタテマエ論を
     展開せざるを得なくなる。
     私の本の終りの方に登場する林思云のいう、「愛国虚言」(国を愛する余りの
      誇張表現)のタブーがあるのでしょう。

 櫻井: 客観的資料に依拠することなく書かれたアイリス・チャンの
     『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』という間違いだらけの本が、英語で出版され、
     世界中の人々に読まれて、それが真実だと誤解されている現状があります。
     日本では南京大虐殺派の人々でさえ、その本に多くの誤りがあるとみなし、
     日本版は翻訳されずじまいでしたが、アメリカでは政権に関与するほどの
     知日派の知識人でさえ、肯定的に評価しています。

     今にして思うと、この本も、ティンパーリーやスマイスの本同様に、
    一種の情報操作によって作成されたのではないかと疑いたくなりますが、
    北村さんの本はあくまでも学者の良心的立場から事実を一つ一つ
    発掘していった労作だと思います。
    是非、多くの人に読まれ、英訳もされてしかるべき本だと痛感しました。

  投稿者 ikeda : 14:25 | コメント (0)
 
 非常に興味ある対談として読み進めました。私は加藤紘一氏の意見に極めて近い
 スタンスでいる。
 読んでいて気になるのは「相手は怪しいが、自分たちの調査でめぐり合った人は
  真実を言っている。」と断定して書かれている所です。
 戦争は「狂気の果て」であり、どちらが正しいと言うものではないと思う反面、
 攻め込む(ちょっかい掛ける)方が、圧倒的に「悪」であるとも思っている。
 だからパパブッシュの湾岸戦争は「正義」として受け止められる部分がある
 のに、現在のバカブッシュは「正義のかけらも無い」と思うのである。

 当時の日本は「富国強兵」を私利私欲に利用した「極悪」戦争犯罪国である。
 下で働いていた兵隊は、ごく平凡な平和主義の人間であり、戦争がなければ
 武器など絶対持たない人々である。
 
 戦場を渡り歩いたとしても、民間人を殲滅する人種であるとは、日本人として
 考えられない。
 完全に発狂したのは、ちゃんこい権力を持った一部の上官達であろう事は
 推測可能である。
 また、イラクでもあったが、民間人ゲリラに攻撃(反撃)を受けた場合を
 考えれば、一地区を皆殺しにしたかも知れない可能性はあるし、
 そう言った事実は「史実」には載ってこないものだと理解する。
 
 軍法違反や人間的破滅を恐れれば、真実は墓の中であろう。

 中国側のでっち上げが事実あったと予想できても、この対談から「真実」
 が見えているとは思えない。
 真実は曲げられていても、正しさは証明されるものだと思っている。
 虚偽は必ず綻びる。それも崩れ始めたらあっと言う間である。
 なぜなら、虚偽を真実に見せる為に虚偽を重ねなくてはならない。

 中国側から次々に資料がでるなら良い事である。
 真実は崩れる事無くそこにあるから、覆われた衣のほつれから覗くのは
 真実である。

 中国は国家事業として歴史を編纂している。
 いつかは分らないが、自ら虚偽の歴史を脱ぎ去る時が来るだろう。
 既に20年前の中国と比べれば「国民」が変化している。
 中国は偉大な国であると共に「寛大」な大陸思想も持ち合わせていると
 信じている。
 「敵国日本」思想が消滅する日を待つ。日本人として私に出来る唯一
 可能なことは偉大なる中国の判決を「待つ」事である。

 この対談の結論は「極めて怪しい」であり、決定的証拠は何一つ無い。

 夏目まさこで三蔵法師を語る愚行はしないつもりだが、経典の
 翻訳を一人でこなしたと言う物語にも乗る気はない。      by.ふるふる
 
2001年11月26日

                         「 南京事件に関する新事実 まさに歴史を見直すべき時 」

                                                    『週刊ダイヤモンド』 2001年12月1日号
                                                                     オピニオン縦横無尽 423

  歴史を振り返るとき、常に私たち日本人の心の傷としてとらえざるをえないのが
  南京事件である。

  戦後教育を受けた私は、長いあいだ、日本人は南京で虐殺行為をしたのだと思っていた。
  報道の分野で仕事をするようになって初めて南京大虐殺説に疑問を抱くようになった。
   かといって特に南京事件の調査をしてきたわけではないが、外交問題の取材などに
   関連し幅広く書籍や資料を読むようになった。

   その結果、中国側のいう30万人虐殺はありえないことなどは、比較的すぐに納得できた。
   問題はそこから先である。
   南京での虐殺はなかったとする書籍や資料を読んでも、私にはなかなか、それは認め
   られなかった。
   30万人よりはずっと小規模ながら、一般市民の虐殺はあったのではないかとの
   見方をぬぐい去ることができないできた。

   そんな私の目を大きく開かせる書籍が出た。
   『「南京事件」の探究』(文春新書)である。
   著者の北村稔氏は立命館大学教授で団塊の世代、中国近・現代史の専門家だ。

   北村氏はできうる限り、イデオロギーを排除して客観的事実を掘り起こすことで
   南京事件を見詰めようとした。
   南京虐殺が存在したと確定されたのが東京と南京で行なわれた戦争裁判の
    判決書によってであることから、北村氏は二つの判決書がどのような資料と
    証言によって作成されたかを調べ、それらを逐一、調査する手法をとった。
    その結果、驚くべきことが分かったのだ。

   南京事件を最初に世界に知らしめたのは、オーストラリア国籍の記者、
   ティンパーリーの書いた“What War Means : the Japanese Terror in China”
    という書籍である。

    南京事件の翌年の1938年に早くも出版された。
    ちなみに彼は英国のマンチェスター・ガーディアンの中国特派員だった。

    一流紙の特派員で、中国とも日本とも関係のない第三国の人物による書籍
    との触れ込みで、彼の書籍には信頼が寄せられ、残虐行為の有力な証拠
    ともなった。

    南京大虐殺の日本断罪は、この書物から始まったともいえるのだ。

    北村氏が発掘した事実は、ティンパーリーの隠された素顔に関するものだ。
    じつは彼は公平なジャーナリストなどではなく、蒋介石の国民党の
    対外宣伝工作に従事していたというのである。

    上の事実は『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社)を書いた
    鈴木明氏も指摘しているが、北村氏はさらに調査を進めてさらなる新資料に
    たどりついた。

     そのうちの一つは国民党中央宣伝処の曾虚白処長の自伝だ。
     自伝のなかで曾は次のように書いている。

    「ティンパーリーは都合のよいことに、我々が上海で抗日国際宣伝を展開
      していた時に上海の『抗戦委員会』に参加していた三人の重要人物の
      うちの一人であった。(中略)

      我々は秘密裡に長時間の協議を行い、国際宣伝処の初期の海外宣伝網
      計画を決定した。
      我々は目下の国際宣伝においては中国人は絶対に顔を出すべきではなく、
      国際友人を捜して我々の代弁者になってもらわねばならないと決定した。

       ティンパーリーは理想的人選であった。
       かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー
       経由でスマイスに依頼して、日本軍の大虐殺の目撃記録として2冊の本を
                                                        書いてもらい、発行することを決定した」

     こうして極めてタイムリーに日本断罪の書が出版されていった。
     公平な第三者の著作のはずが、じつは国民党宣伝部の資金を受けていた
     人物によって書かれたものだったのだ。

     それが元になって南京大虐殺説が生まれてきた。
     となれば、南京大虐殺は存在しなかったのだ。
     詳しくはこの書を読み、そのうえで、何が歴史の真実に近いのかを一人
     ひとりが考えてみてほしい。

     事実は目前に見えている。まさに歴史を見直すべき時なのだ。

                                                 投稿者 ikeda : 14:23 | コメント (0)

    どうしてそのような自伝が世に出回ったのでしょうか?
  それほど重要な書籍であるなら「発行」されないか、されても中国
  国家の名にかけて隠滅させられるのではないのですか?
  それが決定的証拠であるなら、何故日本政府がそれを証拠にして
  反論しないのでしょうか?
  その人物は信頼できると言う根拠は何ですか?
  その自伝が真実を語っていると言う根拠は何ですか?
  また、彼が残した自伝で誰が利益を生んだのでしょうか?
  
  南京にある記念館の虐殺写真や資料は全部捏造したものですか?
  慰安婦問題って、これも虚偽なのですか?
  涙を流していたおばあさんは、お金欲しさのサクラだったって事?

  つまり、あなたの結論は「中国人はウソつき」であるって事?
  日本人と台湾人はウソをつかないのだと?
  都合良くないっすか?

  すんごくイデオロギーを感じますけど。
  上から順番に読んで来たけど、全くスッキリしません。 by.ふるふる
  
 

    2001年08月02日

  「無線封止」の神話は完全崩壊、奇襲は読まれていた!「 『真珠湾の真実』
                                をまだ信じない人たちへ 」

                                                                      『諸君!』 2001年9月号
                                                             終戦特集 破られた「歴史の封印」

  「民衆の一部を一時期欺くことはできるかもしれないが、全ての民衆を
   いつまでも欺き通すことは不可能である」というリンカーンの言葉を捧げたい

                                                 ロバート・スティネット(ジャーナリスト)
                                                    妹尾作太男(戦史研究家)
                                                   田久保忠衛(杏林大学教授)
                                                    櫻井よしこ(ジャーナリスト)

                                                     「無線封止」は虚構だった

 妹尾:  『真珠湾の真実――ルーズベルト欺瞞の日々』の日本語版がこのたび
     文藝春秋より拙訳で刊行され、著者のロバート・スティネットさんが
     奥さんとともに来日されました。

     今日はスティネットさんを囲んで、本書に対する内外の批判や疑問に
     答えるとともに、現代史最大の謎であるルーズベルト大統領と
     パールハーバー奇襲の関連、そして太平洋戦争(大東亜戦争)の起源に
     さかのぼりつつ、あの戦争が日米双方の歴史にどのような影響を与えて
     いるかを議論したいと思います。

 櫻井: 私は、昨年の9月にこの本の解説を書いている中西輝政さんが、
     スティネットさんの本を激賞していたので、早速英語版を購読しました。

      1942年6月のミッドウェー海戦の前頃までは解読されていなかったと
     されていた日本海軍の暗号が、実は真珠湾攻撃前から解読されており、
     しかも、ハワイ攻撃の南雲艦隊が無線封止を守らず、しばしば電波を
     発信していたために、その航跡をアメリカ側は察知していたとの指摘
     (第5章「見事な配備」、第12章「無線封止神話の崩壊」)に先ず驚愕しました。

    そして、ハワイに派遣されていた日本海軍のスパイ吉川猛夫の動向も
    従来の定説ではアメリカ側は知らなかったというものでしたが、
    実はそうではなくてすっかり把握されていた(第6章「あのスパイは泳がせろ」)
    という、今まで秘匿されていた数々の歴史的事実が明るみに出され、
    興奮しながら一読しました。

     その一方で、いまなお「卑劣な騙し討ち」を日本がしたために、広島や
     長崎の原爆投下も止むを得なかったとみなす向きが日米双方に少なく
     ないのですが、そういう歴史認識の過ちを是正するためにも、こういう
     本は少しでも多くの日本人に読んでもらいたいものですが、向こうでは
     どれぐらい売れたのですか。

  スティネット:  米英では20万部と聞いています。

 田久保: 元国防省の高官で日本をよく知っている某氏とあるところで一緒に
       なった時に、「この本に書かれていることは本当だよ。
       子供の頃父親から『ルーズベルトは真珠湾が奇襲されることを
       知っていたんだよ』とよく聞かされたんだ」と彼が語っていたのが
       印象的でした。

        確かに、スティネットさんの本には、アーサー・マッカラム少佐による
       「対日戦争挑発行動8項目」とも呼ぶべき文書の発掘(第2章「裏口
       からの参戦」)など、数々のスクープがなされています。

       しかし、従来の戦史研究家の中には、そうした「マッカラム文書」も、
       たかが少佐が提案した文書であって大したものではなかったし、
       日本海軍の暗号は1941年当時はまだ解読されていなかったとか、
       南雲艦隊は無線封止を厳密に守っていたと抗弁している人もいますね。

 スティネット: 真珠湾攻撃の第一航空艦隊(機動部隊)の航空参謀であった
         源田実少佐には、生前、手紙を出して取材をしたことがありますが、
         「日本を出発した時点から真珠湾を攻撃するまで、日本の艦艇は
          全く無線通信を行わなかった」と断言していました。

          一方、米軍も、
         「日本のあらゆる情報源を探しても、機動部隊はオアフ島へ接近
         する間、完全な無線封止を守ったという証拠しかない」
          (テルフォード・テイラー陸軍情報将校)と語っています。

          しかし、わたしは南雲司令長官たちが潜水艦隊の司令官と頻繁に
         交信していた事実を本書で公開しています。
         例えば、清水提督は旗艦香取で、ハワイに向かっている艦隊随伴
         潜水艦30隻及び潜水母艦を指揮していましたが、絶えず無線封止
         を破っていたために、米海軍の無線方位測定機が彼の航跡を追跡
         していました(第4章「ハワイ空襲警戒警報」、
                 第10章「マルタ皇太子妃との夜」)。
         こうした無線は、ハワイにあるハイポ局やフィリピンのキャスト局など
         のアメリカの通信傍受機関によって傍受されており、無線封止が
         行われていたというのはまったくの虚構です。

         私の本が出て以来、当時の日米双方の海軍将官たちが、改めて
         「そんなはずはない」と必死になって否定しようとしています。
         でも、その主張は私が発掘した機密文書と完全に矛盾している。

 櫻井: 何故、彼らは無線封止という「神話」に、こだわるんでしょうか。
     日本側にしても、そうした無線封止が事実ではなかったと証言する人が
     出てくれば、逆説的にも真珠湾奇襲が決して
     「卑劣な騙し討ち」ではなかったことの証明になるはずではないですか。

      そうなれば、東京裁判も今までと異なる位相でとらえ直す必要が
      出てくるでしょう。

スティネット: 日本が降伏した際に、軍関係者とアメリカ側との間で無線封止
         の神話を守るという密約を交わしたのではないでしょうか。

         通信傍受に関する事柄は今も昔も軍事上最高機密に属するからです。
         アメリカ側は住居などの経済的特典を彼らに与えることによって
         口封じをしたのかもしれません。

                                     意見の一致した嘘が「戦史」

 田久保: 無線封止に関しては、文藝春秋臨時増刊『太平洋戦争日本航空戦記』
       の「われ真珠湾上空にあり」という座談会の席上、淵田美津雄(中佐)が、
       「南雲長官はすごく臆病もので、前日に敵の潜水艦がついているに
        ちがいないから、飛行機出して捜索をやろうと言うんだ。
        そんな、いまごろ飛行機を出してまた電波が出たりして、ややこしい。
        やめておきましょ、潜水艦がついておるんならついておるでしようがない、
        急いで沈めることもないし、放っておきましょうとぼくが言うので、
        長官も不服だったけれどもやめておったね。

         ただ、前におる潜水艦が心配になって、お前はどこにおるや言おうと、
         電波だしたんや」と証言しています。

        つまり、連合艦隊に先立って真珠湾に向かった味方の潜水艦と
        連絡を取らざるをえなかったのです。
        また南雲に仕えていた空母赤城の長谷川艦長も日記で無線封止を
        破った事実を記録に残していると言われている。

        この日記の写しが防衛研究所にあるそうですから、日本も情報公開
        すべきです。
        もちろん、削除や改竄なしに、です。
        人によっては無線封止を破ったと書いてあった、いや書いていないとか
        情報が混乱しているので、どうしても公開が必要です。

         いずれにせよ、真珠湾攻撃部隊が完全に無線封止を行なっていた
         というのは「神話」でしかないのに、未だに厳守されていたと強弁する
         日米双方の旧海軍関係者やオーソドックスな歴史研究家のメンタリティ
         には理解しがたいものがあります。

              源田実氏には私も生前、この問題で質問したことがありますが、強弁の
         典型でした。
         諜報戦に負けたとの認識がないまま今の日本が続いている。

 スティネット: 南雲はハワイに向かう途中で嵐のために給油艦などがはぐれてしまい、
         そのために低出力の短波で集合命令のメッセージを送っています。

         それだと、本来なら数千マイル離れているアメリカの太平洋岸の
         傍受基地には届かないのですが、デリンジャー現象がちょうどその時に
         発生して、太陽の黒点の影響で電波が拡散してしまい、
         その短波をアメリカがキャッチしたわけです。

         先ず、ハワイのハイポ傍受局。そしてサンフランシスコ、アラスカの傍受局
         です(第13章「きわめて安い代価」)。

 妹尾: 当時の無線方位測定は不正確であったから、南雲艦隊がたとえ電波を出した
      ところで、その位置を測定するのは無理だという意見があります。

      確かに一か所だけで傍受したならば不正確な場合もありますが、
      三か所で傍受したならどんぴしゃりですよ。

       それと、この本で紹介されている傍受電報の中には赤城などが日本国内に
       いるように見せかけるための偽電が入っていて、それもカウントしている
       のはおかしいという批判がありましたが、そんなことはアメリカ側は
       承知ずみです。
       何しろ送信側と受信側とが同じ発信機を使っているということを見抜くのは、
       ベテランの米海軍傍受電信員にとっては簡単なことだったんです。

       だから、アメリカは日本の偽電を傍受しても、「独り言を言っているかのようで
       あった」と認識していたわけです(第12章「無線封止神話の崩壊」)。

       そんな単純な偽電工作で未だにアメリカの裏をかいたつもりでいるのは
       ノーテンキもいいところです。

 櫻井: アメリカの軍関係者が、無線封止の嘘を暴露したくないのは国益上のことでしょうが、
     なぜ日本側もそれにみすみす迎合してしまうのでしょうか。

  スティネット: 実際には打電した通信科員がいたはずですし、将校や司令長官も
          関与していたはずです。

 櫻井:  それなのに皆な口をつぐんでいる。

 スティネット: アメリカも同じようなものです。
         我々は「欺瞞という同じ船」に乗っているともいえるわけです。
         その欺瞞から解放するためにも、私は「情報の自由法」に基づいて 、
         10数年にわたって真珠湾関連の文書の公開を米海軍やFBIなどに
         執拗に求めつづけたのです。

         海軍の方は私たちの度重なる要求にウンザリしたらしく、インディアナポリス
          の史料倉庫にあった史料を、1993年に国立公文書館に譲渡したのですが、
          どうやら根負けしてやっと一部公開してくれました。

         マイクロフィルムではなく生の文書ばかりで、テレビカメラの監視の中、
         入念に読破していきました。そういう過程で、1995年になってマッカラム
         文書を偶然発見したのです。

         公文書館の中で50年以上も誰も手にしていないためか、ほこりにまみれて
         束ねられていた古い文書を繙いていった時に出会ったのです。

         そういった文書を妻と一緒にコピー機に並んで次から次へとコピーしていきました。

妹尾: 「情報の自由法」があっても、スティネットさんのように情熱を持って行動しないと、
     アメリカといえどもなかなか公開はしてくれないのでしょう。

     残念ながら、「戦史というのは意見の一致した嘘を集めたもの」
     という言葉がありますから。

田久保: スティネットさんの調査によると、海軍通信部長のリー・ノイズ少将が、真珠湾攻撃
      以前に傍受した日本の軍事及び外交暗号電報などを54年間公開しないと
            いう検閲規定を定め、「文書または文書化されたものはすべて破棄せよ」と
      命令したということですね(エピローグ――「文書はすべて破棄せよ」)。

 スティネット: そのとおりです。破棄されたというのが公式の見解です。
         しかし、実は存在しているのです。
         1941年7月15日から12月6日の間に14万数千通の通信文が日本海軍によって
         打電されたと見ています。
         それらの記録は検閲のために未だに秘密です。日本でも同様です。

 妹尾: 映画や映像などで、日本海軍がいかに無線封止をしていたかということで、
     電鍵をテープで封印したりしているシーンがありますが、それは作り物でしかない。

     「ニイタカヤマノボレ1208」もハイポ局で傍受している事実があるのに、真珠湾にいた
     太平洋艦隊情報参謀のエドウィン・レイトン(少佐)は、この証言を猫の目のように
     何度も変えていきます。

      例えば、「ニイタカヤマノボレ1208」は、「平文による放送だった」と言ったかと思うと、
     「ハワイでは受信も傍受もできなかった」「この電文はハワイにはなかった」
     と変えていき、次には「セイル(シアトル付近の傍受局)で傍受された。
     ハワイではない」となる。

     スティネットさんが、彼の存命中にそのチグハグぶりを追及すると、怒りだして
     インタビューは打ち切りになったそうですね(第13章「きわめて安い代価」)。

スティネット: そうです。
         また、ルーズベルトは海軍情報部長のウォルター・アンダーソン大佐を
         少将に進級させて、太平洋艦隊戦艦部隊司令官としてハワイに派遣
         しています。
  
         彼は米海軍情報部が日本海軍の暗号を解読していた秘密を知る男
         ですが、彼がハワイに於ける情報監視役となり、レイトンを太平洋艦隊
         情報参謀に任命したわけです。
         そうすることによって、彼らがキンメル(太平洋艦隊司令長官)などに
         吉川猛夫らのスパイ活動の情報も流れないように画策したのです
         (第3章「ホワイトハウスの決定」) 。

         しかも、彼は何故か、真珠湾基地の軍用居住区を利用せず、ワイキキ
         の名所であるダイヤモンド・ヘッドのマカイ(海)側に家を借りています。
         真珠湾の海軍基地からは遠く離れている所です。
  
         そして1941年12月6日、つまり奇襲前日には陸に上がり自宅に戻っていた。
         艦に在艦していなかったのです。
         安全な自宅で、「欺瞞の日」を迎えたのではないかと疑っています。

 妹尾: ヒトカップ湾から南雲中将の機動部隊が北太平洋に向けて出発した
     11月25日(ワシントン時間)の1時間後に、米海軍作戦本部はキンメル宛に
     「太平洋を横断する(米国及び連合国の)船舶の航路はすべてトレス海峡とする」
     との電報を出しています。

     トレス海峡というのはニューギニアとオーストラリアとの間の海峡であり、
     北太平洋を真空海域にせよとのことだった(第9章「真空の海をつくれ」)。

     その2週間前にはキンメルが疑心暗鬼のあまり、ハワイ北方海域での
     日本機動部隊の捜索を命じたのです
 
          が、ホワイトハウスは直ぐに中止するよう命令を出しています。
     こうした事実が何を物語っているかは自明でしょう。

                                                   新たな決定的証拠を発見!

田久保: ところで、スティネットさんの今回の本で特記すべきものは、アメリカ版を
      刊行した後に明らかになった決定的ともいうべき新事実が追記されている
      点です(「日本版あとがき」)。

      つまり、コレヒドール島監視局キャストの局長であったジョン・リートワイラー
      大尉からワシントン海軍省のリー・パーク大尉宛の書簡(1941年11月16日付け)
      ですが、これを読むと、今までスティネットさんを批判してきた人々の
      論拠が完全に崩れますね。
      本来ならこの「日本版あとがき」をトップに持ってくるべきだったと思いませんか。

スティネット: この資料は、2000年の5月に初めて発見したためにハードカバー版
         には出ていません。
         ペーパーバック版に掲載する予定だったのが、向こうの出版社の
         都合で間に合いませんでした。

         日本版に初めて掲載しましたが、リートワイラーの書簡は、国立公文書館
          のインデックスにも載っていない史料で、マッカラム文書同様、
          私がいろいろな書類を収めた箱を調べているうちに偶然見つけ
          出したものです。

 妹尾: パークは、日本海軍暗号解読作業の米海軍全般責任者ですが、彼に対して、
     リートワイラーがその書簡で
     「われわれは2名の翻訳係を常に多忙ならしめるのに十分なほど、現在の
      無線通信を解読している」
     と1941年11月の時点で書いていることの意味は、もはや明白というしかありません。
     私は、本書の「監訳者あとがき」にも「リートワイラー大尉の書簡を一読すれば、
     米海軍が戦前に日本海軍の作戦用D暗号を解読可能だったか否かについて、
     議論の余地は全くない。

     換言すれば、ルーズベルトが日本の真珠湾攻撃を、事前にすべて承知して
     いたことは言うまでもない」と書きました。

     スティネットさんの日本語版を読む前に、アメリカでの旧版だけをあたふたと
     読んで、『真珠湾の真実』を批判する本を出した人たちが日本にもいますが、
     当然、この書簡については何も触れていません。
     もはや勝負あったというしかない(笑)。

      彼らは日本海軍の暗号は、1941年12月1日に呼び出し符号や乱数表も
     変えたので、真珠湾攻撃前後には絶対に解読不可能と述べていますが、
     「日本版あとがき」でスティネットさんが指摘しているように、
     1941年12月2日に海軍大臣嶋田繁太郎からの命令(1941年12月4日以降、
     海軍暗号Dの一般乱数表第8号を使用し、第7号の使用を停止するものとす)
     もアメリカ側に傍受解読されていた。

     しかも、この命令は「一般乱数第8号を未だ受領していない通信隊が国内には
     いくつかあるので、それらの隊との通信に当たっては、一般乱数表第7号を
     使用するものとする」となっていたのです。

      つまり、長期間外地で行動中の艦船の中には第8号の乱数表を手渡しては
      いないものもあるために、第7号と第8号とを併用したわけですが、これでは
      第7号を傍受解読していたアメリカ軍にとっては、乱数表を変えたところで
      何の苦もなく、新しい暗号も解読できたわけです。

      呼び出し符号の変更にしても、各艦の送信機ノイズの特徴はアメリカ側は
      すでに把握済みでした。

      これは人間でいうと声紋のようなもので、いくら変えようとしても変えられない。
      一人の誘拐犯人が複数の声色を使っても声紋を調べれば同一人物と分かる
      ように、呼び出し符号を変えたからといって、各艦の識別が付かなくなるわけ
      ではなかったんです。

   櫻井: そうした傍受体制はアメリカを中心にして当時のイギリス(シンガポール)や
      オランダ(インドネシア)やオーストラリア、カナダなども協力しあっていた
      わけですね。

   スティネット:  そうです。

  櫻井:  中国も関与していたんでしょうか?

  スティネット: その決定的な証拠はありませんが、可能性はあります。
          中国国内で墜落した日本の航空機などから日本の暗号表などを
          入手して、その資料がアメリカや英国に伝えられていたかもしれません。

          逆に、マッカラムの戦争挑発計画の3番目にあった
          「中国の蒋介石政権に可能な、あらゆる援助の提供」
          の中には、当然、日本軍の暗号解読への対中協力もあったのです。

 田久保: 実際、「日本版あとがき」によると、パールハーバー攻撃の際、オアフ島で
       撃墜された第一航空艦隊所属機から米海軍情報部は物凄い機密資料を
       入手していますね。

       日本海軍の主な艦船の機密呼び出し符号一覧表が回収されてしまっている。
       しかも、暗号解読を日本に悟られまいと異常な努力を米側は常に払ってきた。
       これに気付かない人が日本側に少なくない。

  妹尾: 海軍が通信保全の重要性を理解していなかった証拠です。
      そんな重要なものを撃墜される可能性のある戦闘機に搭載するのは狂気の
      沙汰というしかない。

 スティネット: アメリカも英国も中国ももはや全員が正直に情報を公開すべき時期なのです。
         こういう事実が公開されれば世界中のビッグニュースとなるでしょう。

 妹尾: 実は、イギリスの諜報機関員であったウィリアム・スティーヴンスンがその著
     『暗号名イントレピッド』(ハヤワカ文庫)の中で、チャーチルがドイツの暗号を
      解読していた事実を悟られないために、1940年11月にコヴェントリーが空爆
      されると分かっていながら、避難勧告も警告を発することもせずになすがままに
      任せた史実を明らかにしています。

       「コヴェントリーを燃えるにまかせた決定がいかにルーズベルトに大きな感動
       を与えたか…」と記されていますが、恐らくルーズベルトの頭の中に、その時、
       暗号解読の事実を守秘するためにコヴェントリーを犠牲にしたチャーチルの
       姿勢が強く印象に残ったのでしょう。

       そしてチャーチルと同様に、パールハーバーへの攻撃の黙認に繋がって
       いったのではないでしょうか。

 スティネット: コヴェントリーの件については、私はあまり研究をしていないので、
         チャーチルが箝口令をしいたということに関しては詳しくは知りません。
         ただ、ルーズベルトは日本への挑発行動の一つとして、巡洋艦を
         日本の領海に侵入させて挑発するように命じた時には「1、2艦の
         犠牲は惜しまないが、5、6艦の犠牲は困る」と言っていました。

         普通、1艦の乗組員は900人です。
         真珠湾の犠牲者は一般市民を含めて2千数百人でしたから、ルーズベルト
         にとっては許容の範囲内だったのでしょう。

 田久保: しかし、戦艦アリゾナなどの犠牲は、旧式艦だったとはいえ予想外の痛手
      だったのでしょう。
      ボクシングでフェイントをかけて一発軽いパンチを誘ったところ、ズシリと重
              い一発を食らってしまったといったところでしょうか。

 妹尾: 当時のアメリカには、日本人が戦闘機を操れるなどとは信じられなくて、
      ドイツ空軍が真珠湾攻撃に参加したなどという人がいたぐらいですから、
      ルーズベルトも日本の軍事力を過小評価していたのでしょう。
 

                                                  今も懲りない日本の情報音痴ぶり

 櫻井: それにしても、我が国がインテリジェンスとしての情報活動に鈍感なのは、
     もう染みついた体質といってもいいかもしれません。

      つい最近も、かつてのABCD(米・英・中国・オランダ)ラインではありませんが、
      米・英・カナダ・オーストラリア・ニュージーランドの英語圏の5ヵ国が共同して
      運営し、通信衛星を経由する世界中の電話やファックスや電子メールを
      傍受している通信傍受機関(暗号名エシュロン)が、日本の外交暗号電文を
      傍受している事実が明らかになりました。

      毎日新聞(6月27日)の報道によると、ニュージーランドの情報研究家である
      ニッキー・ハガー氏が、その事実を明らかにしたのですが、ニュージーランドの
      ワイホパイの傍受施設が、通信衛星などを経由する日本大使館などの専用
      通信回線の暗号電文を傍受し、米国から提供されたコンピュータで解読して
      いたということです。
 
      これを日本語に堪能な職員が翻訳し米国国家安全保障局(NSA)に送って
      いたわけで、日本政府が第三国と進めていた石炭売買契約の価格も傍受し、
      それがニュージーランドの石炭輸出交渉で有利に働いたりしたとも指摘
      しています。

      この報道に対して、日本の外務省幹部は
      「傍受されたのは簡略な電文だと思う。
       超極秘の外交電文を解読するのは無理だ。
       日本の外交機密はしっかりと守秘されているものと確信している」
      とコメントしていましたが、これって、まるで1930年代、40年代と同じ状況
      ではないでしょうか。

      太平洋戦争は情報戦の面でも完敗したというのに、何故未だに日本は
      こんなに暢気でいられるのか。

      アメリカは、戦後も、エシュロンを通じて、自国の国益を守るために情報
      収集をますますパワフルにやっているというのにです。

 スティネット: 私も櫻井さんのお考えに同感です。
         日本政府や外務省はなぜセキュリティのもっとしっかりした通信手段を
         確保しないのか不思議です。
         昔と違い、日本は今やアメリカに電子製品を輸出する高度な電子国家
         ではないですか。

         やろうとすればやれるはずです。
         ハッカーもはびこる時代だし、自国の通信の秘匿性を守るのは国家の
         務めであるのに、日本は何故そういう防護策を講じないのか。

         とりわけ、1941年の段階でそうしなかったのか。
         他国が耳をそばだてて日本からの情報を傍受解読していたのはもはや
         明白な事実なのです。

         当時の日本とて、アメリカ側の通信を傍受し解読しようとしていたでは
         ないですか。

 田久保: 本書の134?135ページ(地図)に表示されている米(ハワイ、フィリピン)、
       英(シンガポール)、加(エスクィモルト)、蘭(バタビア)等の太平洋各所に
       配備された諜報無線局と、今日のエシュロン受信施設の太平洋地域の
       配備(米・ハワイ、グアム、豪のジェラルトン他、ニュージーランドの
       ワイホパイ等)とはうりふたつです。

       しかも、今は日本国内の三沢にも米軍の傍受施設があるんだから(笑)。

 妹尾: 今は日本とアメリカは同盟国ですが、それであっても、日本の国家機密など
     をアメリカは「合法的」に入手しようとしているわけです。

      いわんや、1941年前後は「敵国」どうしでしたから、必死になってアメリカは
      日本の国家機密を盗もうとしていたわけです。

      その事実が判明したというのに、未だに、情報は盗まれていなかったと
      抗弁する人たちがいるのは滑稽というしかありません。

                                                 謎の死を遂げた真珠湾研究家たち

 田久保: 今年は日米開戦60周年ということで、映画の「パール・ハーバー」も封切られ、
       日本でもパールハーバーに関する書物が書店を賑わしています。

       しかし、やはり圧巻なのがスティネットさんの本ですね。

       文藝春秋からは20年前にジョン・トーランドの『真珠湾攻撃』が上梓され、
       10年前には英国官立暗号学校の日本課や英国極東連合局主任暗号官
       もやったエリック・ネイヴと元英国諜報機関員だった
       ジェイムズ・ラスブリッジャーの『真珠湾の裏切り――チャーチルは
       いかにしてルーズヴェルトを第2次大戦に誘い込んだか』という本が
       出ています。

       この2冊は、スティネットさんの本と同様に、ルーズベルトらがいかにして
       日本に先制攻撃をさせようとしたかを追究したノンフィクションです
                 が、スティネットさんにも少なからぬ影響を与えたようですね。

 スティネット: ええ。妹尾さんのお名前はトーランドから聞きましたし、
         ジェイムズ・ラスブリッジャーとも会いました。

 田久保:  『真珠湾の裏切り』の謝辞の中で、ラスブリッジャーが「過去数年真珠湾関係
       の資料を交換していた」として、あなたの名前を出していますね。

スティネット:  はい。彼は英国に住んでいて、オーストラリアにいたネイヴともよく
          会っていましたし、サンフランシスコにも立ち寄ったことがあったので
          一緒に会ったものです。

 田久保:  彼は、007の同僚でもあったわけでしょう。

スティネット: ラスブリッジャーはそういう立場の諜報機関員でしたから、英国の公務員
         秘密保持法による制約を受けていました。

         もし、彼が機密情報を漏らせば、財産まで没収される恐れまでありましたが、
         そうした脅しに屈することなく勇気を持って事実を公表したんです。

 田久保: スティネットさんの本ほど緻密ではないにせよ、当時としては可能な限りの
       情報を駆使して、英国も日本海軍の暗号を真珠湾攻撃前に解読していた
       事実を追究していたわけですね。

 スティネット: 彼は事実の追究に関して物凄いファイターでしたから、あなたがアメリカ海軍
         に情報の公開を求めても海軍側はあなたには情報を提供しようとしない
         のではないかと冗談で言ったこともありました。

         1990年代に真珠湾とルーズベルトの関連について関心を寄せ取材を
         していたのは、私とジェイムズ・ラスブリッジャーとジョン・コステロ
         (英国の戦史研究家で『真珠湾、クラーク基地の悲劇――責任は誰
          にあるのか』という著書が啓正社より翻訳されている)の3人でしたが、
         実は、そのうち、私以外の2人が謎の死を遂げていることをご存じですか?

 櫻井:  謎の死と言うと?

 スティネット:  1995年8月にコステロが英国の航空機でロンドンからマイアミに向かう途中、
          機内で急死しました。
          続いて、ラスブリッジャーは、2000年8月に、私と電話で話 した直後に
          自宅で不審の死を遂げています。

          英国政府に彼の検屍報告書の写しを請求したいと考えてもいますが、
          恐らく公表はしないでしょう。幸い、私はこうしてまだ生きていますが、
          いつまで生きられることやら(笑)。

 櫻井:  今のところ、スティネットさんはアメリカ人だから無事なんでしょうか?

 スティネット: そう思いたいですね(笑)。
         彼らは、高度に専門的な内容に取り組んでいたちょうどその時に亡くなり
         ましたから、謀殺の可能性は極めて高いのではないかと私は
                     見ていますが、もちろん、それを証明する答えは今のところありません。
 

                                                    ブッシュ元大統領の「沈黙」

 田久保:  ピュリッツァー賞を受賞しているジョセフ・ラッシュトンの『ルーズベルトと
       チャーチル――1934?1941』(未訳)も、『真珠湾の裏切り』と同じように、
       日本をいかにして戦争に引きずりこむかについて英米が謀略を働かせたか
       を記しています。

       こうした歴史の通説に対する新しい視線の登場によって、日本のみならず
       アメリカでも新しい歴史観というか、第2次大戦への見直しが起きてきて
       いるのではないか。

 スティネット: そうです。2000年10月にアメリカ連邦議会では、太平洋艦隊司令長官の
         キンメル海軍大将と陸軍ハワイ司令官のショート中将の名誉回復のための
         決議がなされました。
         ワシントンの政府上層部が日本軍の動向に関する情報を現地に送って
         いなかったことが米軍敗北の原因であり、現地指揮官に責任はない
         というわけです。
    
         だから、当時、職務怠慢を理由に司令官の職を解かれ少将に降格された
         のを、真珠湾攻撃前の階級に戻すという内容でした。

         ショートさんの息子さんの奥さんなどから、
         「こうした決議はあなたの本のおかげです」
         という手紙を貰いました。

         確かに、10年前ならこの決議は考えられなかったことでしょう。
   
         しかし、クリントン大統領はこの決議に署名をしませんでしたから正式には
         発効していません。

         今はブッシュ(ジュニア)大統領のデスクにあるはずですが…。

 櫻井:  ブッシュさんと言えば、スティネットさんは、太平洋戦争中、父親の方の
      ブッシュさんと一緒に従軍した体験を持っていますよね。

 スティネット: 彼が直属の上官で、大統領が操縦する軍用機から日本海軍の艦船や
         基地を撮影したことがあります。

 櫻井: 彼はあなたの本を読んでいますか。

 スティネット: ハードカバーの初版を一部送ったので手にはしているはずですが、
         読後感の返事はもらっていません。
         恐らく、これからも来ることはないでしょう。

 櫻井: ブッシュさんも、あのパールハーバーの「卑劣な騙し討ち」を前にして、あなたと
     同じように愛国の思いを燃やして志願したんですよね。

     真珠湾攻撃50周年の1991年12月1日に放送された米ABCテレビの
     対談番組でこう語っています。

      「12月7日のことは決して忘れない。
      日曜日で、マサチューセッツ州アンドーバーの学校の構内を歩いている
      ときだった。

      だれかが我々に向かって叫んだ。
      深い衝撃だった。
      海軍に入りたかったが、そのときはまだ17歳で、できなかった。

      18歳の誕生日かその翌日に入隊した。
      私が乗ったのは雷撃機だった」と。
      そしてトルーマン大統領の原爆投下決定に関してアメリカが謝罪すべきか
      どうかについては、その投下が日本の降伏を早め、「何百万人もの米国民の
      命を救った。

      我々は日本からの攻撃を受けていたのだ」ということを理由に謝罪要求論が
      誤りであると表明しました。

     この時は、まだ、スティネットさんの本は刊行されていなかったわけですが、
     「真珠湾の真実」が明らかになった今もその考えは変わっていないのでしょうか。

 スティネット: さっきも言ったように、彼からは何の反応もありません。

 櫻井: ブッシュさんの読後感をぜひ知りたいものです。

 スティネット: 私は彼を困った立場には追い込みたくはないんです。
         彼から「この話をしようじゃないか」と言いだしてくればともかく、
         そうでない限り、私がしゃしゃりでるわけにはいかない。
         彼の答えを聞きたいのなら、櫻井さんが直接質問するといいでしょう(笑)。

 田久保: 多分、彼は現職の大統領である息子に影響を及ぼしたくないと考えている
       ことでしょう。
       ブッシュ・ジュニアが、そうした議会の名誉回復の決議に署名をするか
       どうかは微妙な問題です。

       従来、「ルーズベルトの陰謀」を説くのはハミルトン・フィッシュ
        (『日米・開戦の悲劇』をPHP研究所より刊行)のような共和党系の
       人が多かった。
       そもそも、クリントンは民主党だから、そうした決議には署名したくもなかったのでしょう。

 スティネット: しかし、私は民主党の支持者ですよ。
         2000の大統領選挙でもブッシュではなくゴアに入れました(笑)。

 妹尾: その点が、従来のルーズベルト陰謀説を展開する人とスティネットさんとの
     大きな違いでもあるわけです。
     スティネットさんは、西木正明さんとの対談(「諸君!」2001年1月号)でも、アメリカが
     ナチスドイツと戦うためには、真珠湾の古い艦隊と水兵を囮(おとり)にするという酷い
     選択をするのは止むを得ないことであったとみなしているし、トルーマン大統領の
     広島、長崎への原爆投下も死の恐怖から逃れられて安堵感を覚えたと言っています。

     しかし、日本人から見て、スティネットさんの本を読むことによって、一つ感じることは、
     パールハーバーへの攻撃が「卑劣な騙し討ち」であったからこそ、原爆投下も許される
     という考えは絶対に見直すべきではないかということです。

      実際、ロナルド・シェイファーの『アメリカの日本空襲にモラルはあったか
      ――戦略爆撃の道義的問題』(草思社――原題は『裁きの翼』)の中でも紹介されて
     いますが、トルーマンは原爆投下後に次のような声明を出しています。
 
     「原爆の使用について私以上に当惑している人間はいないが、パールハーバーに
      対する日本側の不当な攻撃と捕虜の殺害には、私は非常に当惑させられた。
      日本側が理解すると思われる唯一の言語は、彼らを爆撃するために我々が
      使用しているものである。

      けだもの(beast)を相手にしなければならないときは、けだものとして
                                      扱わなければならない」

      真珠湾の仕返しとして原爆投下をしたといわんばかりの声明です。

      しかし、少なくとも真珠湾攻撃が「卑劣な騙し討ち」でもなく「不当な攻撃」とも
      必ずしもいえなくなってきた今、これについては、どう考えますか。

 スティネット: 真珠湾生存者協会主催の会合で講演をしたことがあります。
         彼らの多くは、日本が真珠湾攻撃に誘い込まれた事実を知らなかったのですが、
         講演後は「真珠湾がなかったら、広島はありえなかっただろう」と多くの人が
         語っていました。

         マッカラムの戦争挑発計画が暴露された今となっては、その点は極めて
         重要な問題になってくるでしょう。

         この計画が作成された1940年の段階では副大統領はヘンリー・ウォレスでした。
         トルーマンは1944年に副大統領に起用されていますが、彼は、ルーズベルトが
         真珠湾攻撃を事前に知っていたことを認識していたかどうかに関しては
         何とも判断できません。
         ルーズベルトは彼に事実を述べたか、それとも隠蔽し続けたか。

          私自身は、原爆が投下された1945年8月には、第3艦隊の空母に乗艦して
          いて九州沖にいました。

         私の個人的な意見では、原爆投下のおかげで自分の命は助かったと、
          当時感じました。

         何しろ、日本のカミカゼ攻撃に我々は連日さらされており、アメリカの空母は
         かなりの被害を受けていました。

         このままでは、自分の命も危ないと思っていました。
         そして、広島、長崎は別にしても、それ以外の地域にいた多くの日本人の
         命も救ったのではないかと…。
 
                     映画「パール・ハーバー」の嘘

 田久保: おっしゃることはよく分かります。
       しかし、本書が指摘しているように、日本がルーズベルトの仕掛けた「真珠湾の罠」
       におびき出されて、太平洋戦争が始まったとなると、日米双方の歴史観は
       変わるはずというか変えるべきでしょう。

スティネット:  その通りです。

田久保: というのも、我々日本人は、1945年8月15日以降、今にいたるまで謝り続けて
      いるからです。
      是は是、非は非とする態度を示さぬ我々にも責任はありますが、それにしても
      「日本の真珠湾攻撃で戦争が始まったのだから、原爆投下を糾弾する前に、
       先ず日本が謝罪すべきだ」という政治家もいるのですからね。

スティネット: 真珠湾攻撃で生き残った人たちの中にも、ルーズベルトによってスケープゴート
         にされたことへの補償を求めるべきではないかという声も出てきています。
         しかし、日米が開戦してから60年近く、真実とは違う話が伝えられてきたために、
         まだその点では大きな合意は得られていない状況です。

 櫻井: 原爆の被害は無論のこと、戦後、アメリカが主導して開いた東京裁判も見直す必要
     が出てくると思います。

     この裁判によって、日本は平和に対する凶悪な犯罪国家であったとして裁かれた
     からです。

     勿論、誇張されているとはいえ、日中戦争や太平洋戦争の過程で日本軍が残酷な
     戦争犯罪を犯したりした事実はあったでしょうが、客観的に見て、日本だけが
     悪かったわけではないはずです。

     アメリカにも英国にもオランダにもそれなりの戦争責任というものはあり、
     その度合いに応じて、その責任の一端を各国が分担すべきと考えています。

      有罪を言い渡された人でも、新たな事実の発掘によって「再審」の道が開かれる
      のと同じように、東京裁判ももう一度見直し、インドのパール判事が
      「日本は無罪である」と判定した裁定を再検討するべきだと思います。

     少なくともアメリカや英国やソ連などが日本を裁く資格はなかったとパール判事が
     喝破したのは正しかったはずです。

     その意味で、スティネットさんの本が東京裁判の見直しにも繋がるきっかけに
     なるのではないかと期待しています。

 スティネット: アメリカの市民にもそういう主張をする人が出てきています。
         私の本を読み、私の講演を聞いて、「アメリカが日本を挑発して戦争を
         起こさせたのなら、我々アメリカ人に日本を責める資格はないのではないか」と。

         もちろん、「そんな挑発に乗った日本の方がやはり悪い」という人もいます。
         そういう風にして、今、新たな議論は起こり始めたばかりです。

         これからもそうした議論は世界中で広がっていくでしょう。
         パール判事は、50年以上前に、こうした道理を見抜いていたのかもしれません。

 田久保: 日本の歴史教科書の戦後史は、戦後一貫して東京裁判の歴史観に支配
       されてきました。
       戦前の日本が全て悪いと。

       しかし、本書の見解が日本でも多数を占めるようになるとすれば、現行の
       教科書の記述は改定されるべきでしょう。

 スティネット: それはアメリカやイギリスの教科書も同じことです。
         私の本の中国語版などが出れば、中国からの対日批判の声も変化して
         いくかもしれません。

 妹尾: しかし、日本でも封切られたばかりのアメリカ映画の「パール・ハーバー」などは
     噴飯物ですね。
     スティネットさんの本を参考にした気配もない。

 スティネット: 真っ赤な嘘というか、真実とはかけ離れた映画ですね。
         製作担当のジェリー・ブラッカイマーは、私の本を「牛の糞」と言った
         そうですが、あの映画こそが「牛の糞」だということを世界中の人々に
         理解してほしい(笑)。

          アメリカでもあの映画はあまりヒットしませんでしたが、若いアメリカ人が、
         今求めているのは「歴史の真実」です。

          この四月にコロラド大学で講演しましたが、国際関係を学んでいる学生たち
          は私の本を読んで、こうしたルーズベルトによる陰謀の経緯に憤りを表明
          していました。

         彼らからすれば、そうした挑発行動は納得出来ないのでしょう。
         ただ、当時、アメリカ国内に強かったリンドバーグらによるアメリカ第一主義、
         欧州への不干渉運動の側面を理解することも必要だと説明しました。

櫻井: 第2次大戦を単に欧米の民主主義国家と反民主主義国家の日独伊との戦いであった
     ――連合国VS.枢軸国の対立というような単純な歴史観で見るのはもう止める
     べきでしょう。

     また、日本は真珠湾奇襲のような「卑劣な騙し討ち」をする狡猾な国家であり、
     戦後になってもそうした体質を引き継いでいて、経済進出にしても卑怯な手段で
     やり、国も国民も信用ならないといった今も欧米にある対日観を早急に是正する
     必要があると思います。

 スティネット:  それは当然のことです。

 櫻井:  さっきの映画「パール・ハーバー」ではなく、スティネットさんの本を原作にした
      もう一つの映画「パール・ハーバー」を製作すべきですね。

      チャーチルを中心とした欧州の軍事情勢もカバーし、その映画を見れば、
      日本の真珠湾奇襲がどのような歴史的文脈で計画され実行されたか、
      奇襲にまつわるもうひとつの側面を描いたものです。

 スティネット:  しかし、ハリウッドを動かすにはラヴストーリー仕立てに
          しなくてはいけません(笑)。

 櫻井: キンメルにしても情報を与えられなくとも必死になって戦おうとしていたでしょう。
     男のドラマとしても十分可能だと思います。

     大事なことは、新たに明らかになった歴史的事実を描くドキュメンタリー
     作品であるということです。

スティネット: それには賛成ですが、「トラ・トラ・トラ!」にしても、史実には当時としては
         比較的忠実でしたが、興行的には失敗だった。

         ハリウッドはシリアスなものは拒絶するでしょう。
         しかし、確かにドキュメンタリーなら可能かもしれません。
 

                                                    私は「修正主義者」ではない

 田久保: ところで、あなたはアメリカではリビジョニスト(修正主義者)と評されている
      ようですね。
      この言葉は感じのいい表現ではなく、人をこのように分類するやり方はいやですが。

 スティネット: リビジョニストだって?私にはまったくそういう肩書は当てはまらない。
         今まで秘密だった事実を明らかにすることが、なぜ修正主義になるのか。
         私は何も修正していない。

         オリジナルなものを発掘しただけなのです。
         歴史家を自称する従来のオーソドックス派というか「真珠湾エスタブリッシュメント」
         なる人々は、私の事実の発掘を紋切り型に批判するために、そういう
         レッテル貼りをして誤魔化そうとするのでしょう。

                                                   妹尾:  日本でも同じです。

スティネット: しかし、アマゾン・ドットコムを始めとする、一般の書評では7割のアメリカ人が
         私を支持してくれています。

         真珠湾に関する歴史の真実を求めての調査はこれからも続くわけです。

         FBIは私の本が出た後、フィリピンの傍受局キャストに関する彼らの記録を
         公開しないような処置を急遽取りました。

         これは明らかに不当な行為であり、私はいまその公開を求めています。

         「日本版あとがき」に入れたリートワイラーの手紙も偶然に2000年5月に
         入手したものですが、これも本来は政府が非公開にすべきところをつ
          い油断して見落としていたものでしょう。

         調査を継続していけば、そうした偶然の発見もある。
         その努力の成果が本書となり、事実を裏付けるための脚注になったわけです。

 櫻井:  大変な作業だったと思います。
      この本に収録されている膨大な脚注を読むのがとても楽しかったですよ(笑)。

 妹尾: 10数年にわたる研究の集積ともいうべき本書の脚注を下司の勘繰りのように
     貶める人がいますが、スティネットさんには今後もこの分野での研究を続けて
     いただきたいものです。

 スティネット: リンカーンも
         「民衆の一部を一時期欺くことはできるかもしれないが、すべての民衆を
          いつまでも欺きとおすことは不可能である」
         と語っています。

         その言葉を、忘れないでいたいものです。
 

   「マッカラム対日戦争挑発行動8項目」とは――
  海軍情報部極東課長だったアーサー・マッカラムは日独伊3国同盟が締結された
  直後の1940年10月7日に以下の8項目の政策をアメリカ政府が実行することによって、
  日本を対米戦争に導くことになるだろうとした。

  実際、ほぼこの項目通りにアメリカの対日政策は推移していった。
       1.太平洋地域の英軍基地、特にシンガポールの使用について英国との協定締結。
       2.蘭領東インド内の基地施設の使用及び補給物資の取得に関する
                                     オランダとの協定締結。
       3.中国の蒋介石政権に可能な、あらゆる援助の提供。
       4.遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を東洋、フィリピンまたは
                                  シンガポールへ派遣すること。
       5.潜水戦隊2隊の東洋派遣。
       6.現在、太平洋のハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持すること。
       7.日本の不当な経済的要求、特に石油に対する要求をオランダが
                                    拒否するよう主張すること。
       8.英帝国が日本に対して押しつける同様な通商禁止と協力して行なわれる、
                                  日本との全面的な通商禁止。
 

                                                 投稿者 ikeda : 11:26 | コメント (0)

 読み進めていて、確信に変わった事がひとつ。
 確か2000年のバカブッシュのインタビューに「今のアメリカにはパールハーバー
  が必要なのだ。」と言うのがあったと記憶していて、久し振りに田中宇の
  国際ニュースの見出しをチェックしたが、みつけられなかった。
  いつか見つけてやる・・。
  
 911の時、どうしても理解できなかったのが完全なる防衛システムのの
 凍結。そして、パールハーバー再来だけであるならペンタゴンは
 必要なかったと思われた。
 思想がバカブッシュのものとは、とても思えなかった。あのバカには
 レベルが違いすぎる。

 まして、一般市民や仲間を犠牲にする資質って、どこから来ているのか
 その辺が理解できかねた。

 米国は都合が悪けりゃ大統領も消される伝統を重んじる国である。
 バカブッシュの自信を持った「パールハーバー発言」の裏側に
 1、2艦(1800人程度)までを許容する前例を見習い、伝統として未来に
 残したと言うシナリオがあったとすれば合点がいく。

 911そのものの流れが全部見えて来る事になる。
 航空機の乗客と貿易センタービルとペンタゴン。傍受していない証拠に
 ペンタゴンがあった訳だ。

 途中で墜落したとされた機は、ホワイトハウスだったとも言われて
 いるが、それよりも煙も立たない爆発炎上とは恐れ入る。
 誰も助けに行かない航空機事故って?
 今考えりゃおかしな事故だった。
 燃えていないのに、炎上とか言ってカメラが映してる。
 その後、一切現場の映像は流れなかったっけ。

 直後数日は私も唖然とするだけで思考が停止したもんだ。
 乗り捨てられた車からアラビア語の操縦マニュアルが見つかったって
 報道には流石に「有り得ねえ・・・やらせじゃん」と直感したもんである。
 へたくそなC級映画のシナリオだ!
 んなバカチンがテロなんぞやるわけねっしょうが!
 テロで名刺を出すバカはいないんだよ!

 イラク開戦時に、散々書いたから今更書く気も無いが、この証言を
 読むまで、どうしても、あのバカブッシュと結びつかないのが
 大量の仲間殺しだった。

 パールハーバーの真実がそうであるとすると、名実共に
 間違いなく911はバカブッシュの宣言した
 パールハーバーの再来そのものである。

 しかし、しかし今のイラク情勢、全く予想通りじゃん。
 シナリオそのまんま、軍隊のアルバイトは続く。平和じゃ世界一の
 軍隊が失業しちゃうもんね。
 今度はザルカウイを捕まえるんだと。
 ビンラディンのときの茶番を繰り返すんだろか?
 国内がハリケーンで荒れすぎてシナリオの修正が迫られているから、
 クリントンのごときに浮気逃れにミサイル撃っちゃう作戦で
 早々と殲滅することも考えられるな。

 軍事費を国内に向けるしかないし・・・・・・。
 国民にしてみりゃあ、他人の平和よっか自分の明日だぜよ。

 ニューオリンズはクロの街だから、やる気なかったろうけど
 テキサス地元が被災したら、即イラク向け軍事費まで削減に
 なっちゃうよ。

 こんな時、大統領がパウエルだったらって思うのは私だけ
 なんでしょっか?
 ま、パウエルだったら、こんなシナリオ書いてなかった
 ろうけどね。
 伝統の凶弾に倒れてただろうさ。
 
 
                                 2000年12月04日

                       「 日の丸が国旗であることの背景説明を政治家は尽くせ 」
 
                                                      『週刊ダイヤモンド』 2000年12月9日号
 
                                                                   オピニオン縦横無尽 第375回
 

   過日、評論家で大学教授の松本健一氏に取材していた時のことだ。
  話題が本題から離れて、なぜ、日の丸が日本の国旗かという話になった。
  氏の説明があまりに説得力があったため、改めて紹介してみたい。
  以下、松本氏の話のまとめである。
 
    京都に今も残る五条大橋は、源義経が武蔵坊弁慶をやっつけた場所で
   観光名所のひとつになっている。

   “京の五条の橋の上 大の男の弁慶は長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて
   切りかかる/牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと
   欄干の 上へ上がって手を叩く”
  
   子どものころに歌ったこの歌にある牛若丸の扇は日の丸の扇だったというのだ。

   義経はそのまま壇ノ浦の戦いに出ていくが、その時源氏が平氏に対して
   掲げた旗は白地に赤の現在の日の丸だった。

   一方の平家が掲げていたのは、赤字に白の日の丸だった。
   
        「源平合戦で平家が勝っていれば、日本の旗は赤字に白の日の丸になっていた
    かもしれないのです」と松本氏はおもしろそうに語った。

   源氏の後に出てきた武将たちは、織田信長も徳川家康もみな自分たちは
   源氏の流れを汲んでいるという意識を持った。

  そして彼らは戦いのときには必ず日の丸の旗を掲げたのだ。

  たとえば長篠の合戦のときである。
 
   長篠の合戦は1575年5月21日早朝から始まった。
   織田信長と徳川家康の連合軍が武田勝頼と戦い、壊滅的な打撃を与えた。
   武田方の騎馬隊は信長側の設けた柵に阻まれ、かつ柵のなかから撃ち出
   された大量の鉄砲によって敗れ去ったが、このあまりにも有名なシーンは、
   歴史ドラマのなかでもよくとりあげられるシーンだ。

   「この時、信長も家康も家紋をあしらった自分の旗を持っているのですが、
    連合軍として戦うときは日の丸を掲げていました。
    対する武田側もまた、日の丸を掲げていました。
    つまり日本を支配するのは自分たちだと思ったときには、日本の国印、
    日本全体の国の印として、日の丸のイメージが武将の頭のなかに入って
    いたのです」

    松本氏はさらに、外国に対するときも日本人は日の丸を掲げて行うという、
   常識があったという。

   江戸中期に淡路島に生まれた高田屋嘉兵衛は、廻船業を営み、
   今私たちが北方領土と呼ぶ択捉や国後島のほうまで漁場を開いた人物だ。

   嘉兵衛は松前や樺太で交易を続けたが、外国と交渉する場合には、
   徳川の旗ではなく日の丸の旗を掲げた。

       1853年に米国からペリーがやって来たとき、日の丸は日本側の総船印
    として掲げられた。

    ニッポンを代表する者の旗印が日の丸だったのだ。

    「源平の古から、1000年の文化の流れがあって、1853年に米国が開国を
     要求してきたとき、結果として幕府が日の丸を日本の旗として定めたのです。

    日の丸は日本の文化のなかから、ごく自然に生まれ育ったのです」と松本氏。

     このような日の丸の成り立ちを識ってみれば、たとえ一時期、それが侵略の
    非難を受けている戦争に使用されたといっても、日の丸が日本の国印、
    国旗であることを受け容れることを、多くの人が納得できるのではないか。

    逆にいえば、この種の説明なしに、法律によって日の丸を国旗とすることに
    どれだけの意味があるかということである。

    あの時、野中広務幹事長らは、天皇陛下即位10周年記念に合わせるために、
    日の丸と君が代を合体化させて法案化した。

    そして彼らが国民に対して行った説明は、「それが日本の文化だから」
    というものだ。

     だが、明らかにその種の説明だけでは不十分なのだ。
     納得しない人は、おそらく今でも納得していないに違いない。
     政治家であればこそ、自分の主張の根拠を国民に語りかけるべきだ。

                                                 投稿者 ikeda : 13:13 | コメント (0)

 はあ、源平に高田屋嘉兵衛ですか・・・・それって説得力あるんですか?
 
 「日出ずる処の国」の象徴の「日の丸」だと思っていました。

 天皇に近いと反対を受けると言うところですか?

 天皇家は菊の御紋でしょうが。

 戦争で特攻に使われたりして、確かに印象は悪いけど、日の本「日本」

 を明確にあらわした簡潔で良い印だと思いますがねえ、私は。

 国はリセットされてますから、軍国をむやみやたらに強調する事を
 
 止めるべきでしょう。

 但し、日章旗は止めましょう。あれこそ軍国主義そのまんまだ。

 見る度に気持ち悪い。

 日の丸・君が代・・・・いいんじゃないですか。

 SMAPの世界にひとつだけの花とか国歌になってもね。

 白に赤丸・相撲の歌・・・・って、呼び名変えれば良いじゃん。

 その内、天皇制に虐げられた人達はいなくなりますから。 byふるふる